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江戸時代のストーカーの悲惨な結末とは?

江戸の性 第59回

イラスト/フォトライブラリー

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

延享二年(1745)のこと。長谷川町の裏長屋に、辻沢治(つじさわおさむ)という十六歳になる浪人の若者と、その母親のおかよが住んでいた。

たまたま、おかよが所用のためひとりで外出したところ、新大坂町に住む喜八という男が目をつけて、言い寄ってきた。喜八は四十六歳である。もちろん、おかよは相手にしなかった。喜八はよほど執着があったのか、おかよのあとをつけねらい、路上で言い寄ること数回におよんだ。

八月十三日、またもや喜八は道で待ち受け、さんざん口説いたが、おかよは無視して、つれない態度で歩き去る。喜八はカッとなって、おかよをその場に押し倒し、殴る蹴るの暴行を加えた。母親が道で乱暴されているという知らせを受け、辻沢治が駆けつけた。辻沢は喜八を突き飛ばした。母親をかかえおこし、

「母上、おけがはございませんか」

と、介抱する。喜八が起きあがり、

「へっ、素浪人が。腰に差しているのは竹光(たけみつ)か」

と、嘲弄した。ここにいたり、辻沢も堪忍袋の緒が切れた。刀を抜くや、一太刀で喜八を斬り殺してしまった。その後、辻沢は長屋の大家に届け出た。

町奉行所から検使の役人が来て、人を殺したことには違いないため、辻沢はいったん小伝馬町の牢屋の揚屋(あがりや)に収監された。小伝馬町の牢屋は、身分によって差があった。庶民が収容されるのは一般牢、下級幕臣や諸藩の藩士、および士分に順ずるものは揚屋、旗本は揚座敷である。辻沢は浪人なので、揚屋に収監されたのだ。また、母親のおかよの身柄は町内預けとなった。

その後、町奉行所が事情を調べたところ、町内の者はみな口をそろえて喜八の悪辣さを証言した。これで、喜八のほうに非があるのは明白となり、辻沢は無罪放免され、おかよも預けを解かれて自由の身となった。無罪を言い渡すに際して、町奉行の島長門守は辻沢の勇敢な行為をほめ、

「よりより大名方へ其方どもうはさ申とらせ候べき」

と、付け加えた。

「どこかの藩に仕官がかなうよう、われらも話をしておいてやるぞ」

というわけである。

『寛延雑秘録』に拠ったが、その後、辻沢治の仕官がかなったかどうかは定かではない。喜八は現代でいうところのストーカーだった。人間はいつの時代も変わらないということか。女にもストーカーはいるであろうが、全体として見ると男のストーカーのほうが圧倒的に多い。しかも、悲惨な結末になることが少なくない。

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永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


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