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火よ、我とともに行かん【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第15回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第15回


森羅万象をよく観察し、深く思考する。新しい気づきを得たとき、日々の生活はより面白くなる――。森博嗣先生の新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」。人生を豊かにする思考のツール&メソッドがここにあります。 ✴︎BEST TIMES連載(2022.4〜2023.9)森博嗣『静かに生きて考える』が書籍化(未公開原稿含む)され、絶賛発売中です。


 

 

第15回 火よ、我とともに行かん

 

【経済的自立とか早期リタイアとか】

 

 今回は「Fire」について思うところを書こう。断っておくが、誰かを揶揄するつもりはないし、自分がこうだと主張するのでもない。誰もが自分の思ったとおりに生きれば良いし、現にほぼそうなっている、と観察できる。思ったことを書くのが、今の僕のささやかな仕事なので、適当に読み流していただきたい。腹が立つ人は、腹を立てたい人である。気づくのが遅かったと諦められる人か、自分だけは関係ないと思い込める厚顔の人でなければ、読まないで済ませる手があることを確認しておきたい。

 『ツイン・ピークス』に出てくる言葉を、今回のタイトルにしたけれど、ネットで翻訳させたら、「私と一緒に火遊びをする」と訳してきた。なるほどね。

 この頃、森博嗣が「Fire」を実現している、と書かれたものに幾つか出合った。経済的自立(FI)と早期リタイア(RE)を足した流行り言葉らしい。僕には心当たりがない。僕は経済的に自立していないし、また早期にリタイヤしたわけでもない。この言葉を僕は使わない。何故なら、それに当てはまる現象を実際に観察したことがなく、つまり、そんな概念が実在するとは考えていないからだ。

 経済的自立が成立するのは、一切他者と関わらない生活である。たとえば、投資をしたり、貯蓄をすることも自立ではない。衣食住を自給していても、エネルギィはどうだろうか? 太陽光発電しているなら、そのパネルをどうやって自作した? 農作業などに必要なガソリンはどうする? など、どの例でも自立していない。自分が作ったものをなにかと交換し、それで生活しているとしたら、それは世界中の人がしていることと同じだ。となると、誰もが経済的に自立していることになる? 人から恵んでもらっている場合も含めて同じでは?

 早期リタイアというのも、何を基準に「早期」なのかが曖昧である。ただ、日本以外では、若いときに一発当てて大儲けした人が、あっさり引退して悠々自適な生活を送る例が少なくない。これを早期リタイアと呼んでいた。このような例が日本で見られないのは、トップの報酬が安いのと、仕事をしている人が偉いといった古い感覚が根強いからだろう。会社や組織の金で飲み食いし、楽しい体験をするらしい。「この仕事をしているからこそ、こんな良い待遇なのだ」と思い込んでいる人が多く、引退したら「ただの人」になってしまうと恐れている。「ただの人」は偉くない、みんなからちやほやされない、と絶望しているようだ。なかなか面白い考え方ではある。

 僕はそもそも、仕事が人間の価値に影響するとは考えていない。仕事をしているか、していないかなど、どうでも良いことだ。仕事をするのは、単に働かないと好きなことをするだけの資金が得られないからだ、と見なす。仕事をしても偉くなるわけではない。金を持っているから偉いわけでもないのと同じだ。

 ただ、金があったら仕事をしなくても良い。単にそれだけの問題であって、儲かったから早期にリタイヤするというのは、あまりにも自然で、わざわざ「リタイヤ」などと呼ぶほどのことでもないと感じる。お腹が空いたら食事をする、満腹なら食べるのをやめる、というのと同じだ。自立とか早期とか、人と比較するほどのことでもないだろう。

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森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。どうぞご期待ください!

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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