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火よ、我とともに行かん【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第15回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第15回

 

【問題は「ノルマ」の重さにある】

 

 田舎へ移住して農業で生計を立てようとする人もいる。しかし、田舎というのは、その村自体が、会社と同じような組織になっている場合が多い。けっして完全な自由ではない。また、天候に強く依存しているから、社会から離れ、周囲に人間がいなくても、思いどおりにならない自然と対話をしなければならない。コミュニケーションという意味では、これも同じように必要。漁業でも林業でも、きっと同様だろう。

 いずれにしてもいえることは、人間は一人では生きていけない、という現実である。病気になれば、医者や病院に頼らなければならない。既にあるインフラに依存した生活にならざるをえない。税金や保険料は収めないといけないし、警察や消防の世話になる場合だってある。今では、ネットを利用せずに生きていくことは困難なのでは?

 一方、リタイヤはどうだろうか。森博嗣は既に引退している、と公言して久しいのだが、今でもこの記事のように執筆の仕事を細々としている。1週間で1時間か2時間くらいの仕事量だけれど、まったくのゼロではない。それに、過去の仕事に対する報酬を今も連続していただいている。ようするに、夜逃げでもしないかぎり、仕事の縁を完全に切ることは無理だ。おそらく、生きているかぎり、なんらかの関わりは絶えないことになるものと予想できる。

 ただ、時間内にこれをしなければならない、といったいわゆる「ノルマ」は今はない。そういうものがない状況を工夫して築いたからだ。仕事というのは、さきざきの予定を決め、大勢で足並みを揃えて進めるものだが、その予定を決めなければノルマは発生しない。たとえば、気が向いたときに作品を書き、書き上がったあと、出版社に通知し、発行予定を相談して決め、そのうえで刊行の案内を公表すれば、ノルマは生じない。おおよそこのようなものが僕の理想だ。現に、僕の趣味の活動はこの方式である。

 ただし、その場合の「ノルマ」とは他者に対するもの、他者から押しつけられたものである。他方で、自由な理想の状況を築くためには、自身が課したノルマを地道に果たしていかなければならないだろう。いずれにしても、ノルマは存在する。人生の時間が限られている以上、避けられない。

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✴︎森博嗣 新刊『静かに生きて考える』発売忽ち重版!✴︎

 

 

森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。どうぞご期待ください!

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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