「安倍暗殺と統一教会」で露わになった「日本人の特殊な宗教理解」とは【中田考】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「安倍暗殺と統一教会」で露わになった「日本人の特殊な宗教理解」とは【中田考】

ハサン中田考が語る「安倍暗殺と統一教会」《特別寄稿:前編》


安倍元総理暗殺事件から49日が経つ。銃撃した容疑者は宗教団体である統一教会(世界平和家庭連合)に恨みを持ち続けていたという。その広告塔として影響力のあった安倍元総理をはじめ、自民党議員の多くが統一教会やその関連団体となんらかの関係があることが次々暴かれ、テレビも新聞も「政治と宗教」の話題で持ち切りである。日本人にとって宗教とは何か? この一連の騒動で「日本人の宗教理解の特性」が露わになったと語るのは、イスラーム法学者・中田考氏だ。新刊『中田考の宗教地政学から読み解く世界情勢(仮)(イースト・プレス)の発売(10月7日)も待たれる中田氏が「安倍暗殺と統一教会」についてはじめて語る。<特別寄稿:前編>(再配信)


参院選の街頭演説中に銃撃され、67歳で死去した安倍晋三の葬儀は、7月12日に東京・芝公園の増上寺で営まれた。

 

■なぜ安倍一族は統一教会の信徒ではなかったか

 

 202278日、元内閣総理大臣で衆議院議員の安倍晋三が銃撃され死亡しました。事件の全貌が解明されることはおそらくないでしょう。しかしいかなる背景があるにせよ、統一教会(世界平和家庭連合)の最大の支持者とみなされた安倍が同教団に家庭を壊されたことを恨みに思った元自衛官に撃たれたという構図が、事件の前景であることは間違いありません。そしてこの事件の報道を見ると、日本人の宗教理解の特性が浮かび上がってきます。

 安倍晋三と統一教会との関係は、祖父の岸信介元総理(1960年没)の時代に遡ります。それは統一教会そのものというより、冷戦を背景に統一教会の創立者文鮮明が1968年に設立した反共政治団体国際勝共連合を通してであり、岸はその名誉執行委員長を務めていました。安倍の葬儀は浄土宗の増上寺で行われており、生前は靖国神社に参拝しています。統一教会と安倍一族と関係が深いものであったとしても、晋三だけでなく、彼らが統一教会の信徒であったことはありません。それを正しく理解するには日本の宗教事情を知っておく必要があります。

 儒教や仏教の伝来以前に遡る弥生時代の天照大神や卑弥呼の伝説はさて措き、日本では、崇仏・排仏をめぐって用明天皇の死に際する後継者争いを直接のきっかけとし、崇仏派の大臣・蘇我馬子が厩戸皇子(聖徳太子)、泊瀬部皇子、竹田皇子などの皇族や諸豪族の軍兵を率いて大連・物部守屋と彼が次期天皇に推した穴穂部皇子を誅した丁未の乱(5877月)以来、国家(天皇)による仏教の庇護の下に神儒仏の三教が曖昧に共存する体制が成立します。

 仏教による鎮護国家の思想の広まりにより広大な寺領を有する仏教は武装するようになり、平安時代末期には僧兵は強大な武力集団となり、宗教的権威を背景とする僧兵の強訴はしばしば朝廷さえ屈服させ、戦国時代には僧兵団に加えて門徒を武装組織化して戦国大名と争うまでになる宗派も生れました。最大規模であったのは浄土真宗本願寺派の一向一揆で、織田信長や豊臣秀吉をも苦しめました。しかし豊臣秀吉の刀狩りによって、国家による「正当な物理的暴力行使の独占」が進んで以降、宗教勢力は武装解除されて政治権力に取り込まれていきます。江戸時代初期のキリシタンのカリスマ的指導者天草四郎に率いられた島原の乱(1638-1639年)の鎮圧とキリシタンの殲滅によって、日本における本格的な宗教戦争はなくなります。

 250年にわたる「徳川の平和」の時代に完成した政治優位の多宗教共存体制の下では、仏教の宗派への帰属は戸籍のような役割を果たしており、「仏教徒であること」は個人の信仰の問題ではなく国家による家の支配統制の問題でした(寺請け制度)。また神社は地域のコミュニティセンターのようなもので人は生まれるとその土地の産土社(鎮守社)に初宮詣でをし、七五三などの様々な儀式、祭りに参加し、また氏族の守護神である氏神をまつる氏神神社の氏子となります(中世以降は血縁的氏神神社と地縁的産土社が次第に融合していき、現在では神社の祭祀集団を氏子と呼びます)。

 つまり基本的に仏教も神道も個人の決断で選んで入信するようなものではなかったのです。一方で儒教は日本では宗教というよりは学問で、武士向けの公立の藩校で高度な理論が教えられただけでなく、庶民向けのフリー・スクールであった寺子屋でも教えられていました。この神仏儒三教の多宗教共存体制は時の権力者によって公認され、善男善女たちは特に疑いを抱くこともなく、神社で誕生、成人、結婚の通過儀礼、収穫祭などの地域の祭りを行い、寺で葬儀と先祖供養を行い、寺子屋で文字の儒教の徳目を習って生きて死んでいったのでした。

 「徳川の平和」時代において殆どの「普通の人々」は、多宗教共存体制に埋没し、西洋のキリスト教社会のように宗教、宗派が異なることで神の意向によって憎みあい殺し合ったりすることはありませんでした。ただ「世間様」に合わせて仏教、神道、儒教などの諸宗教の儀礼を慣習的に行いながら場当たり的に「善」と「悪」の判断をした上でそこで許される範囲の「利」を求めて「柔軟に」生きていました。(徳川恒孝「“世間様”の文化を忘れていないだろうか」『PHPオンライン衆知』20121011日)。

 しかしこの「徳川の平和」の時代においてすら、宗教をめぐる緊張がなくなったわけではありません。長期的に見ると、日蓮宗のように強引な布教で神道や他宗派と諍いを起こして地域の宗派構成を変えてしまうこともありました。また盲目的に世間様を是とせず、多宗教共存体制を超えた真理を求めて、この世の「利」を度外視し、「実存的」、「主体的」に自らの信心、信念を選び取りそれを愚直に実践する者も現れました。

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中田 考

なかた こう

イスラーム法学者

中田考(なかた・こう)
イスラーム法学者。1960年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。83年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、20代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。著書に『イスラームの論理』、『イスラーム 生と死と聖戦』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『増補新版 イスラーム法とは何か?』、みんなちがって、みんなダメ 身の程を知る劇薬人生論、『13歳からの世界制服』、『俺の妹がカリフなわけがない!』、『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』など多数。近著の、橋爪大三郎氏との共著『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)がAmazon(中国エリア)売れ筋ランキング第1位(2021.9.20現在)である。

 

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