暇だから「観察日記」みたいに書こう【森博嗣】
森博嗣「静かに生きて考える」連載 第29回
パンデミック、ウクライナ戦争、安倍元総理の暗殺、トルコ大地震、シンギュラリティ・・・何が起こっても不思議ではない時代。だからこそ自分の足元を見つめなおそう。よく観察しよう。時に一人になって、静かに考えて暮らしてみよう。森先生の日常は、私たちをはっとさせる思考の世界へと導いてくれる・・・連載第29回。
第29回 暇だから「観察日記」みたいに書こう
【どうして選挙に行かない人が多いのか?】
選挙に行かないのは、白票を投じることと同じである。絶対に誰かに投票しなければならない、という決まりはない。誰にも票を入れないことは、ある意味で、選挙に対する姿勢を示しているわけだし、投票しない権利があると僕は考えている。だから、投票したくない人は行かなくて良い。選挙に行かないことを非難される理由はない。
「選挙に行こう!」と訴えている人たちは、「政治に興味を持て」「未来を決めるのは有権者だ」という理由を挙げているが、興味を持っていて、今の政治の方向性が気に入らなくて、選挙に行って一票を投じてもたぶん変化はないだろう、と想像している人を説得するほどの妥当性がない。
選挙に行かないのは、誰が当選しても良い、と考えているからだ。そう考えることは悪くない。自分は票を投じないけれど、選挙で決まった人が政治家になって、どんな政治をしても文句はいわない、と考えている。だから、行かないのだ。全然悪くない。
ただ、外部(たとえば外国)から見て、半数以上の有権者が投票していない選挙というのは、民主国家としていささか格好が悪いだろう、というだけだ。政治家というのは、もう少し大勢の人たちに支持されているのが普通だからである。
何故これほど、投票率が下がってしまったのか。それは、選挙活動で演説している内容があまりにも陳腐だからだ。「子供たちの未来を」「困っている人の声を聞く」「安心して生活できる」「経済を活性化する」など、いろいろ綺麗事をおっしゃっているけれど、その人が選ばれたことで、何が実現するのかを有権者は知っている。この平和な何十年の間に、充分に知ってしまったのだ。
結局、誰を選んだところで、綺麗事が実現するわけではない。地方議会の議員などが、税制を変えられるわけでもないし、誰が町長になっても日本の景気には関係がない。参議院も衆議院も、とにかく大勢いて、結局は与野党の人数で大勢が決まる。個人がどんな才能を持っていても、それが政治に活かされるようなことはない。そういうことを知ってしまったのだ。たとえば、「議員数を減らします」を公約にして立候補してほしいものだが、そんなことが実現できる政治家は一人もいない。
もし、選挙の票に「誰も当選してほしくない」が選択できるなら、もっと大勢が選挙に行くだろう。あるいは、一定数の票を得られない場合は当選できないルールにする。これだけで議員数が減らせる。そもそも、議員数削減を議論できない、実行できないことが、現在の議員制の欠陥であることは明らかだ。第三者機関を設置してコントロールすべきだろう。