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前妻と後妻の嫉妬合戦

江戸の性 第66回

イラスト/フォトライブラリー

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 寛政十二年(1800)年のこと。商人が用事で深川に出かけ、夜がふけてから霊岸寺の前を通りかかると、赤と青の怪しい火がポッとともるや、すぐに消えた。

 大胆な男だったので平気で歩いていると、背後から、「もうし、もうし」と、若い女の声が呼び止める。振り返ると、暗いなかに女が立っていた。

 「わたくしは赤坂に屋敷がある与力の妻でしたが、病死してこの寺に葬られました。夫は後妻を迎えたのですが、この女がはなはだ嫉妬深く、そのため、あたくしは成仏できませぬ。どうか、このことを夫に伝えてください」

 そして、夫の姓名と屋敷の場所を告げると、すっと姿が消えた。

 

 男は放っておこうかとも思ったが、頼まれたことを果たさないと、あとでどんなたたりがあるかもしれないと思い直し、赤坂の屋敷を訪ねあて、与力に面会を申し込んだ。

 当初は、「そんな男は知らぬ」と、会おうとしなかったが、大事な用件と聞いて、与力も商人に面会した。商人が霊岸寺の近くでの体験を語ると、与力は深くうなずいた。

 「じつは嫉妬深い女で、みどもも困り果てている。ともあれ、お知らせいただき、かたじけない」

 しばらくして、商人がまたもや用事で深川に出かけ、夜になって霊岸寺のそばを通りかかると、こんどは陰火は見えず、女だけが現われ、「せんだってのこと、お伝えいただき、ありがとうございました。おかげで、あたくしも成仏できます」と礼を述べると、姿が消えた。

 不思議でしかたがないため、商人はふたたび赤坂に与力を訪ねた。今度は、与力はすぐに面会した。

 与力の説明によると、後妻も病気であっけなく死んでしまい、本来であれば菩提寺の霊岸寺に葬らなければならないのだが、いっしょに葬るといざこざが生じると思い、後妻の里方の寺に葬ったという。さらに、与力はこう言った。

 「後妻は嫉妬心が異様に強い女でした。あるとき、みどもにこう言いましてな。

 『先妻の位牌をくださいませ』

 『なんのためにか』

 『ともかく、くださいませ』

 しきりに願うので、みどもはなにげなく、

 『では、好きにしろ』

 と、答えました。すると、後妻は位牌を庭の片隅に持っていき、薪割りで打ち砕いてしまいました。その日以来、後妻は病の床に伏し、このほど、ついに亡くなったしだいでしてな」

 商人は、あの先妻の亡霊が後妻を取り殺したのだろうかと思うと、いまさらながらゾッとした。

 『耳袋』に拠ったが、もちろん幽霊が出たなどは信じがたい。しかし、武家屋敷で先妻に嫉妬した後妻が位牌を打ち砕いたという事件が本当にあり、幽霊の尾鰭がついたのかもしれない。武家屋敷は体面を重んじて不祥事はすべてもみ消そうとするため、かえって世間に怪談になってひろまったりするといえよう。

 いまも昔も、後妻が先妻に嫉妬することは珍しくあるまい。ところが、江戸時代の武士の妻女は建前として、「武士の妻たるもの、夫に嫉妬をむき出しにしてはならない」と教えこまれていた。しかも武士の妻の人間関係はほとんど屋敷内にかぎられた。それだけに嫉妬心も内向し、陰湿なかたちで露呈したといえよう。

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永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


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