書くこと作ること生きること【森博嗣】
森博嗣「静かに生きて考える」連載第25回
パンデミック、グローバリズムの崩壊、ロシアのウクライナ侵攻、安倍元総理の暗殺、トルコ大地震・・・何が起きても不思議ではない時代。だからこそ自分の足元を見つめなおそう。よく観察しよう。時に一人になって、静かに考えて暮らしてみよう。森先生の日常は、私たちをはっとさせる思考の世界へと導いてくれる・・・連載第22回。
第25回 書くこと作ること生きること
【新作を書きました】
本連載エッセィは隔週だから、2週間に1度書けば良い。アップされる1カ月まえには編集者へ送っている。この2週間の間に、長編小説を1作書くことができた。
小説というのは、エッセィよりも短時間で書ける。その理由は、ストーリィがあるから。ストーリィというのは、メロディのように連続性を持った流れだ。その流れに乗れば自然に物語を書き留めることができる。流れがまだないうち、つまり最初は、1日に1000文字くらいしか書けない。
僕の場合いつも、タイトル以外にはなにも考えずに執筆を始めるから、考えることがいっぱいありすぎて、可能性も選択肢も無数の中から選ぶ必要あるため、のろのろとしか進まない。2日めには2000文字くらい書く。書いていくほど、可能性が狭まり、選択肢が減り、流れに乗ってトレースするだけになるから、1日に2時間で1万文字以上進む。こうなると全然面白くない。肉体労働に近く、疲れる作業となる。
エッセィというのは、それに比べると流れが断続的で、次は何の話をしようか、と常に考える。その分、執筆速度が落ちる。しかし、選択肢があり、可能性が大きい作業だから、より自由を感じられる点で、書いている本人は多少面白い。
読む人は、また別だろう。結果的に読む人が面白くなければ商品価値が生じない。ここが一番気を遣うところだし、生産者としての責任も感じる。とはいえ、みんながつまらないと思うようになったら、以後は執筆依頼が来なくなるから、その時点で辞められる。
仕事というのは、面白くないものだ。だが、これまでお世話になった義理があるので、ときどき書いている、というのが現状。
執筆依頼は今もぼちぼちとあって、お断りばかりしている。心苦しいのだけれど、それも一時のこと、とすぐに忘れてしまうほどには厚顔である。
小説を書き始めて、27年にもなる。長く続いていることに自分でも驚いている。当初想像したよりは、楽しめる部分があったし、意外に多くの人たちが認めてくれた。悪くなかったな、と思っている。