■生きるため、必死な夜鷹も数多く存在した

江戸時代、女の職業は少なかった。生活に困窮した夫婦で、女房が働き出ようと思っても、職場がない。
やむなく、夜鷹に出る女は少なくなかった。
『元禄世間咄風聞集』に、次のような話がある。

 芝あたりの裏長屋に住む浪人は毎晩、妻を夜鷹に出し、自分は妓夫をしていた。
 隣に住む浪人も、同じく妻を夜鷹に出していた。
 ある日、ふたりは話し合った。
「いくら生活のためとはいえ、自分の女房が不義をしているのを見るのはつらい。貴殿の女房をそれがし、それがしの女房を貴殿が見張るのはどうじゃ」
「それは名案じゃ」
 こうして、お互いに相手の妻の妓夫をつとめることになった。
 その夜、いつもの場所で夜鷹商売をした。
 浪人が、隣人の妻をうながした。
「もはや四ツ半(午後十一時ころ)だから、帰ろうではないか。大家が長屋の路地の木戸を閉じてしまうと、面倒だぞ」
「お気遣いなされますな。今夜ばかりは、夜がふけても木戸はあいております」
「なぜ、そのようなことがわかる」
「今夜は、大家のおかみさんも稼ぎに出ています」

 大家の女房まで夜鷹に出ているという落ちがあり、一種の笑い話になっているが、実情は悲惨である。
 よほどの貧乏長屋だったに違いない。

写真を拡大 図4『慎道迷尽誌』(曼鬼武著、享和3年)、国立国会図書館蔵

 図4では、夜鷹が男を引っ張っている。
 その気のないない男からすれば、なんとも迷惑であり、腹立たしくもあったろう。
 しかし、女の方からすれば必死だった。
 ひと晩のうちに何人かの客を取らないと、それこそ食べていけなかったのである。

写真を拡大 図5『花容女職人鑑』(歌川国貞)、国立国会図書館蔵

 図5は、夜鷹がふたり連れで、商売に行くところ。ここも「辻君」と記されている。