■元締めによって食い物に、船饅頭の現実

写真を拡大 図4『絵本阿房袋』(桜川慈悲成、寛政6年)、国会図書館蔵

 図4は、舟饅頭が客を迎えたところである。

 狭く、揺れる場所での性行為だった。

 さて、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)は、寛政十年(1798)から文化十二年(1815)まで、南町奉行の任にあった。根岸の著『耳袋』に、次のような話が出ている。

 ある商家の若い奉公人が大晦日、売掛金を集金しての帰り、隅田川沿いの浜町の河岸場を歩いていて、舟饅頭から声をかけられた。

 つい、誘いに乗り、女と情を交わした。

 舟からあがり、歩いていて、ふところに入れたはずの財布がないのに気づいた。真っ青になって、途中で落としたのではないかと、これまで歩いた道をたどってみたが、見つからない。

 もう、店へは帰れない。男は川に身を投げて死のうかと思ったが、それでも万が一という気持ちから、方々を尋ね歩いた。

 元日を過ぎ、四日になって、はっと気づいた。

 さっそく先日の河岸場に行き、停泊している舟を丹念に見ていくと、大晦日のときの舟饅頭がいた。男は素知らぬ顔で、舟に乗り込んだ。

 すると、女の方から小声で言った。

「おまえさんは、大晦日に来た人だね。忘れ物をしたろう」
「そうです、そうです。その品は」

 と、財布の色や形状をくわしく述べ、もし見つからなければ、死んで主人に詫びるしかないと心に決めていたことも語った。

「きっと必死で探しているだろうと思い、あのあと、毎晩、ここに出ていたのだよ」

 そう言いながら、女が財布を取り出し、手渡した。

 男は感激し、謝礼としてかなりの額を渡そうとした。

 しかし、女はほんのわずかを受け取っただけで、

「べつに、お礼など必要ありません」

 と、大部分を返した。

 男は女の名と、親分の住まいや名を確かめたあと、舟からあがった。

 店に戻ると、奉公人が売掛金を持ったまま逐電(ちくでん)したと、大騒ぎになっていた。

 男は主人の前に出るや、

「恥を忍び、包まず申し上げます」

 と、すべてを語り、財布と帳面を差し出した。

 主人が照合すると、きちんとそろっている。感嘆して言った。

「賤しき勤めをする身でありながら、そのような正直な心なのは感心だ。それに、おまえにもそろそろ、暖簾(のれん)分けをしようと思っていたところだった」

 そして、主人は男に店を持たせた上、舟饅頭の親方に掛け合い、女を身請けし、所帯を持たせた。

 その後、ふたりは夫婦仲も睦まじく、商売も繁盛した。

 所帯を持ったあと、女が男にしみじみと言った。

「あの金をおまえさんに返したのは、必ずしもあたしが正直だったからだけではないのです。舟饅頭の親方には貪欲非道の者が多く、配下の女が大金を手にしたのを嗅ぎつければ、殺して奪い取りかねません。
 おまえさんは金がないと命を失いかねませんし、あたしは金をおまえさんに渡せば命が助かります。
 そこで、誰にも内緒にして、ひたすらおまえさんが探しに来るのを待っていたのです」

 卑賤(ひせん)な舟饅頭とはいえ、じつに聡明な女だった。

 美談である。人情噺ともいえよう。

 著者の根岸鎮衛は、浜町河岸の近くに住む知人から聞いた話としている。
しかし、時期がはっきりしないし、山下の私娼を題材にした同工異曲の話もある。

 実話と言うより、一種の都市伝説であろう。 

 ところで、この都市伝説からも、舟饅頭を支配する親分がいたことがわかる。毎日、一定の割合で金を吸い上げていたのであろう。

 船頭は現代で言えば、デリヘルの運転手兼監視役だった。

『太平楽巻物』で、お千代が言う「舟饅頭は気楽な暮らし」は、戯作(げさく)の誇張と諧謔(かいぎゃく)にすぎないであろう。

 舟饅頭の実態は、舟に閉じ込められ、やくざ者に見張られ、食い物にされる、過酷な境遇だった。