|#03 『Wellcome to hell』

 

 これは東ヨーロッパの古い街での話だそうです。

 街の周辺には中世の古城やロマネスク様式の教会がいくつも残されており、日本からの観光客にも人気があるところでした。この話の主人公のT氏も、古城めぐりが目的でその街を訪れていました。

 予約していたホテルは旧市街のはずれにあり、ガイドブックによれば1920年代に建てられたものを近年リニューアルしたものだそうです。そう言われてみれば、あちこちにアールデコ風の装飾がみられるのですが、設備などはすっかり現代的でエレベーターに乗るのもフロアに入るのもカードキーが必要でした。

 昔風のホテルが好きなT氏にはちょっと物足りない感じがしましたが、部屋が清潔なのは嬉しく、滞在は快適なものとなりました。

 ところが、日が経つごとにだんだんと部屋が汚れてきたのです。

 客室係が掃除をさぼっているということではなく、時間が早送りで過ぎているみたいに急速に古びているように感じられるのです。初日にはピカピカだった洗面台がツヤをなくして黒ずみ、壁紙も色あせています。

 部屋の中ばかりではありません。廊下もエレベーターも、フロントさえもそうなのです。例のカードキーも使い古したみたいに印刷が薄れ、端がすり切れているのでした。

 まさか従業員に「3日目前より古びてないか?」などと尋ねるわけにもいかず、T氏は不気味に思いつつも滞在を続けていました。

 そして、5日目。

 城めぐりから戻ってきたT氏はエレベーターの変わりようにびっくりしました。照明は半分消え、鏡にはひびが入っているのです。1階登るごとにガタガタ揺れ、金属が擦れるキキキーという耳障りな音が響くのでした。

 廊下はさらにひどい状態で、ほとんどの明かりが消え、壁紙があちこちではがれていました。床の絨毯もでこぼこで、なにやら黒いモノがかさかさ走っているようでした。

 部屋もまるで廃墟でした。ベッドカバーはぼろぼろで、シーツには黒々とした染みがありました。天井の一部ははがれ、漏水しているところもあるようでした。

 シャワーはどうだろうかと蛇口をひねってみると、血のように赤黒い液体が吹き出てきました。

 いくらなんでもこれはひどいと思ったT氏は、部屋の電話でフロントを呼び出してみました。すると、男とも女ともつかない人工音声が「Wellcome to Hell(地獄にようこそ)」と繰り返すばかりで、フロントにもルームサービスにも外線にもつながらないのでした。

 その時、ベッド脇のサイドテーブルに手紙らしきものが置かれているのに気づきました。取り上げてみると、表書きには「Invitation(ご招待)」と書かれていました。

 封筒の中には紫色のカードが入っていて、地下の宴会場でパーティーが開かれるのでぜひ出席してください、と書かれていました。

 これを読んだT氏は、この国にはハロウィーンと日本のお盆を混ぜたような行事があることを思い出しました。

「そのための演出だったのかな? それにしてはやりすぎだと思うが……」

 ともあれ、パーティーの様子だけでも見てこよう、そう思ってT氏は部屋を出ました。お腹もすいていたので、なにか食べられるかもしれないと思ったのです。

 ところが、部屋の前には中型犬が立っていて、T氏に向かってうなり声をあげていました。T氏は横をすり抜けて行こうとしますが、犬はT氏の動きを読んでその進路をふさぎ、部屋の前から出そうとしないのです。

 そのうちT氏はその犬に見覚えがあることに気づきました。10年ほど前に死んだ飼い犬にそっくりなのです。柴犬混じりの雑種だったのですが、額の白い毛の形がまったく同じです。

「お前、べーなのか?」

 T氏が飼い犬の名を呼ぶと、その犬はうなるのをやめ、頭をT氏の脚になすりつけました。

「やっぱり、べーなのか。どうして威嚇なんかしたんだ? あっちへ行ってはいけないのか?」

 T氏が試しに廊下を進もうとすると、べーはT氏の脚をくわえ、はなそうとはしませんでした。

「わかった、わかった。もうパーティーには行かないよ」

 そう言いながら招待状を出してみると、二つ折りになったその間から血のようなものがしたたっていました。

「う、うわぁ!」

 T氏は招待状を投げ捨てると、ベーとともに部屋に駆け込みました。そして、鍵とチェーンをかけると、部屋のまん中でべーを抱きしめて朝がくるのをじっと待ちました。

 

 2時過ぎでしょうか、廊下から何かを引きずるような音が聞こえてきました。

 ずる、ずる、ずる、ずる……

 その音はだんだん近づいてきてT氏の部屋の前までくると、

 どさっ!

 その何かが部屋の扉に投げつけられました。

 またしばらくすると、ずる、ずる、ずる、ずる……と引きずる音が聞こえてきて、

 どさっ! と扉に投げつけられました。

 そして、また……
 T氏はべーの首を抱き、その息にだけ意識を集中して、廊下の音を聞かないように努めました。

 べーはそんなT氏の頬をやさしくなめていました。

 

 気がつくと朝になっていました。

 部屋はホテルに泊まった最初の日そのままで、カードキーも真新しくなっていました。シャワーの水も無色に戻っていました。そして、べーの姿も消えていました。

 T氏はすぐに荷物をまとめると、チェックアウトして一路空港に向かいました。

 帰国後、T氏は菩提寺でべーの供養をしてもらったそうです。