江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■遊女のほとんどは貧困層出身

 吉原の遊女は、もとをただせばほとんどが農村の貧農の子、あるいは江戸の裏長屋に住む貧乏人の子だった。貧しい親が、女衒を通じて幼い娘を妓楼に売ったのである。
 つまり、遊女は自ら望んで従事した「職業」ではなかった。

 遊女は連日連夜、好きでもない男に身をまかせなければならない。要するに、売春を強要される境遇だった。

 しかも、多くの遊女は年季の途中、二十代で病死した。

 そう考えると、遊女の境遇は不幸かつ悲惨といえよう。

写真を拡大 図1『筆始清書冊史』(文尚堂虎円著、文化15年)
 

 しかし、見方を変えると、当時の庶民の女では考えられないほどの贅沢と安楽を享受できる面もあった。その一例が、図1である。

 図1は、妓楼に訪問販売に来た呉服屋が、反物を見せている光景である。

 集まって来た遊女は目を輝かせ、てんでに、

「いい柄だね」
「いい生地だね」

 などと、評し合っているようだ。

 当時、呉服屋が訪問販売をするのは吉原の妓楼か、江戸城や大名屋敷の奥女中くらいだった。

 反物の生地と柄を見て選び、着物をあつらえるのは、いわばオーダーメードである。当然、高価だった。

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