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「この世から消えてほしい上司」を排除させる対話術とは【福田和也】

福田和也の対話術

 

 無論、お世辞にもいろんなタイプ、種類があります。相手の心臓をつかんで、自分のものにしてしまう必殺アッパーカットのようなお世辞もあれば、ジャブよりも軽い、触れるか触れないかのお世辞もある。そして、それぞれのお世辞が、なかなかに馬鹿に出来ない効果があるのです。

 例えば、私の友人が、そこそこによくやっているのだけれど、まったく評価を受けていないプロジェクトを進めている学者にたいして、その成果を言葉を尽くして褒めちぎったことがあります。まあ、彼にはその人と巧くやっていく必要があったのですが、その瞬間に学者氏の顔が喜色に染まっていくのを見て、恥ずかしいほどだった、と彼は云っておりました。一撃にして相手を手中にしたというところでしょう。

 もっともこういう鮮やかな攻撃は、学者とか役人といった世間をあまり知らない人にたいしてしか望めません。むしろ通常ならば、いささかぶっきらぼうに、ほとんど無愛想な雰囲気で、さもいやいや認めるように相手の近ごろの仕事ぶりを褒めるといった微妙なニュアンスを用いた方が説得力があるでしょう。

 お世辞というのは、時に軽蔑の表現にもなります。というよりも、お世辞はつまり、あからさまに、心にもない賛辞を呈することは、時にもっとも優れた軽蔑の表現でありうるのです。

 例えば、パーティなどで、まったくどうしようもない、尊敬はできないどころか口もききたくないような作家と二人になってしまって、一言も口をきかないわけにはいかない、という状況がよく生じます。ここで、フン、とばかりに視線をそらして立ち去るのは、小娘の所業です。

 かといって、いきなり悪罵をなげつけること(それはそれで、かなり魅力的な行為だとは思いますが)も出来ないような雰囲気を場所が覆っているときには、心にもないお世辞を手短に、切りつけるのがいいのです。

 このごろ営業成績が伸びないことが話題になっている会社の販売担当に、あい変わらず手堅い御商売で、と云って去る。手堅い=さえないと気づいても、その言葉だけでは大っぴらに怒るわけにはいきません。一瞬、相手を当惑させながら、時とともに見くびられたと屈辱感を湧かせるようなお世辞を考案することは、何ともスリリングな楽しみではないですか。

 

■攻撃のための手段

 

 かようにお世辞は最高の軽蔑の表現になるわけですが、さらに有効な攻撃の手段、刃(やいば)にもなります。

 お世辞は、狙いすまして用いれば、相手の心臓を深く突き刺し、止(とど)めを刺すことが出来るのです。

 例えば、あなたが非常に嫌っている上司がいるとします。生理的にも、人格的にも我慢出来ない、何とかこの世から消えてほしい、と思うほど嫌いである。と同時に、様々な実害を被っている。

 こういう相手にたいして、あなたはどうふるまうべきか。表立って非難する、職場の世論を糾合(きゅうごう)して失脚させる、といった正面からの攻撃もありうるでしょう。こうしたやり方は、たしかに正攻法ですし、成功すれば気分がいいでしょうが、しかしなかなか現実には出来ません。彼の及ぼす被害が、きわめて鮮明で周囲からも了解されていて、なおかつ彼自身の存在が会社にとってさほど重要ではない、むしろ重荷である、というような条件があってはじめて実現できるものですし、そうであったとしても、主唱者はそれなりのリスクを被ることは覚悟しなければならない。謀反は参加者を興奮させますが、しかしそれが成功した途端、参加者たちの間に罪悪感が広まり、その罪を自分で背負うことに耐えられずに、扇動した誰かの責任に帰す、といったことが、小心な善人たちの間ではよく起こるからです。

 では、手を拱(こまね)いているのか。それも業腹だから、お茶にゴミを入れたり、備品を隠したり、陰口メールを流したり、といったイヤガラセで抵抗しますか。たしかにこういう攻撃は、馬鹿に出来ない効果をあげることがあります。周囲の批判的な視線に無頓着なタイプでも、自信を喪失し、大きなストレスを味わうでしょうし、その心労がきっかけとなって、病にかかったり、あるいは大きなミスを犯すかもしれません。

 しかし、どうでしょう。こういうイヤガラセというのは、どうにも下品ですし、実際みなさんも、ちょっと考えてはみても、やる気にはならないでしょう。まったくエレガントではないですね。お茶にゴミを入れるくらいならばまだヒ素を入れた方がましだ、などというと穏当を欠きますが、毒を盛る方が堂々たる人殺しという意味ではまだしも、という気がします。チェザーレ・ボルジアのような、洗練の極に達した毒殺犯もいますし、イヤガラセというのは、どうしたって品性下劣になってしまう。それに万一露見したら、人前を歩けません。

 正面から戦うわけにもいかず、イヤガラセをするほど卑しくもない、となれば、一切戦う手段がないのか。

 そんなことはありません。こうした状況において、もっとも有効な武器としてお世辞があるのです。

 

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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