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「読書」は享楽、この世に二つないというほどの快楽である【福田和也の読書論】

“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」


新型コロナの感染拡大の影響で、楽しみにしていたカラヴァッジオ展が延期されたのは哀しいことだ。が、近年、展覧会において長時間長蛇の列に並び、押し合いへし合い美術鑑賞すること、これは「美術鑑賞」の名に値するものなのだろうか。

「美術鑑賞と同様に読書にも、それなりに必要なものがあるということです。読書もまた機会と場所を選ぶものですし、それを愉しむためには、ある程度の道具立てが必要です。」と語るのが文藝評論家の福田和也氏。

このほど初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』を上梓した福田氏が、珠玉の読書論を通して、“読書がこの世に二つないというほどの快楽である”理由を存分に語る。


 

■贅沢な読書とは?

 

 本を読むこと、その贅沢さ。豊かさ。

 といった、言葉、惹句にあなたはうんざりしているかもしれない。

 私も、人から、つまりは私以外の人間から聞いたら、そう思うかもしれません。そういう云いまわしは、世間に溢れています。

 読書は享楽であり、この世に二つないというほどの快楽だ。

 この言業は真実であるけれども、ほとんどの人にとっては実感がないことでしょう。あるいは、そう感じてはいても、その中身はあまり豊かでないことも多い。

 暇つぶしの、独り善がりの、何ごとかをやり過ごしたり、役に立つことを学んだようなつもりになるための、スナック菓子やサプリメント摂取のような読書。長距離列車のプラットホームの売店でビールや裂き烏賊の燻製とともに売られ、読まれる推理小説や昼時のオフイス街でコンビニエンス・ストアのお弁当を入れたポリエチレンの袋を片手に物色される最新ソフトの解説書。それはそれで味わいがあり、あるいは役に立つものでしょう。一杯のカップ酒に、時に人生の滋味のすべてが集約することがあるということは、私も認めます。

 でも、それは贅沢というものではありません。享楽でもないのです。

 勉強すること、情報を得ること、時間をやり過ごすこと。それはもちろんとても大事なことです。

 けれど、本当の楽しみは、味わいはその外側に、ある。

 その楽しみを、楽しみに近づく道を私がお教えします。

 と、云うとまた随分厚顔なことを云うものだとびっくりされるかもしれません。

 そうですね、たしかにそうかもしれません。でも、なかなかほかの人間には出来ないことだと自負しています。

 私は、きわめて享楽的な人間です。

 というよりも、享楽や贅沢の魅力に弱い、と云い直してもいいかもしれません。

 午後の日ながに、陽光の下で呑むコルトン・シャルルマーニュの、青い巴旦杏(はたんきょう)のように香ばしく清澄なブーケ。仕立てあがったばかりの、リネンのジャケットを掲げるようにして袖を通す心持ち。埃っぽい街を歩きまわった後に、扉を開けた途端に現れる、すべすべとした磁器の感度で見事なまでに掃除されたホテルの部屋。客の行き来がようやく落ち着いて、店仕舞いの甘い予感がひたひたと潮のように寄せて来る時に、無理に所望して注いでもらう、かなり前に廃業して、もう誰も覚えている者もいない蒸留所の、ブレンド・スコッチ。

 高潔な宗教家や、堅実な家庭人のすべてが排し、禁じてきた快楽の誘惑に、私はとても弱いのです。浸っていると云ってもいいかもしれません。不必要なほどに手の込んだもの、とても世間とあい渡っていけないほどに優雅なもの、ほとんど反社会的なまでに高価なものといった、賢明な人々が避けるもの、むしろ触れようとすら思わないものの魅力に、私はずっと囚われてきたし、これからも囚われたままでしょう。

 私にとって、読書は、このような無用にして高い代償を要求するものときわめて近い間柄にあるものなのです。同じものといってもいい。

 本当に贅沢で、豪奢で、背徳的であるまでに甘美な快楽であり、世間の価値観から遠ざかりながら何ら悪びれることなく闊歩する者の倫理をもたらす営為としての読書の道案内をこれから私がいたします。

 それは、云うまでもなく教科書じみた、知識とお勉強のための読書でもありません。

 己一人に立てこもり、猥雑なものや激しいもの、俗のなかにある深く厄介なものから逃れるための、文学少年、少女のための読書でもない。

 無論、暇つぶしや実用のための読書でもない。

 悦楽の名前に値する、書物の読み方を伝授いたしましょう。

 大ぶりのグラスに注がれた、ブルゴーニュ、コート・ド・ニュイのワイン。その一杯が今、あなたの眼前に据えられています。

 あなたがその一杯を、突風のように立ちのぼるブーケと、デビュタントの胸に飾られた先祖伝来の大粒のルビーを思わせる輝きに触れることからはじめて、飲み干した後の意識が遠のいていくような恍惚とした衝撃までは勿論のこと、数日たって、ふとした時に訪れ、蘇る、アロマの強烈な記憶に至るまで、その扱い方、味わい方、含み方までのすべてをお教えしましょう。

 『福田和也コレクション1』で、取り上げる作品は、とにかく超一流の作品にしました。

 というのも、超一流のものは解りやすいからです。

 ワインでも、絵画でも、音楽でもそうです。

 超一流のもの、最高の水準にあるものは、きわめて個性的であると同時に、誤りようのない、明確な輪郭をもっています。

 ハイフェッツの弾くバッハは、たいしたクラシックの素養のない人の心をも動転させる力があります。サム・クックのハイトーンは、ポピュラー・ミュージックに何の興味もない人の胸をも、抉(えぐ)るでしょう。

 超一流の力とはそういうものです。

 ですから、取り上げる作家自体は、非常に高名な、おそらくみなさんが聞いたことがある作家ばかりだと思います。

 作品の選択に関しては、けして有名な作品ばかりを取り上げたわけではありません。

 たとえば夏目漱石の作品として、『明暗』を取り上げています。

『明暗』は、漱石の遺作として高名であり、文学の専門家の間ではきわめて高い、作家漱石の達成点を示す作品として評価されています。

 漱石の他の作品に比べると、けしてポピュラーなものではありません。『吾輩は猫である』、『坊ちゃん』、『草枕』、『それから』、『こゝろ』、『道草』といった、誰でも知っている作品(しかし、漱石にはこの「誰でも知っている作品」という奴が本当にたくさんあるのですけれど)にくらべれば、知名度も高くはないですし、実際に読まれている数も、ごくごく少ないように思われます。大学の国文学科の学生さんたちや、よほどの読書家、漱石ファンでなければ読んでいないのではないかと思います。実際、結構な厚さですからね。

 にもかかわらず『明暗』を選んだのは、専門家としての見地にたって漱石の最高傑作を紹介したいということではありません。『明暗』を読むことで、ただ漱石の作品、あるいは近代日本の小説という枠を超えて、小説を読むことの面白さ、それもヨーロッパを起源とする社会小説の楽しさを知ってもらいたいのです。

『明暗』を社会小説という呼び方をすると、抵抗感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。社会小説というと、どうも労働問題とか貧困といった社会問題を扱った小説であるように受け取られがちです。私が「社会小説」と云うのは、小説のなかに一つの社会が、つまりたがいに異質であり、まったく別の事を考えていて、理解しあうことが難しい、そうした「個人」が集まり交わり、語り、あるいは戦う空間としての「社会」——この場合は社会というよりは、ソサエティといったほうが感じがでるかもしれません——ということです。

 こういう社会空間の、スリル、滑稽さ、悲しみ、そしてダイナミズムを味わうことが、近代小説の魅力なのです。『明暗』は、このような「社会」を描いた小説として、とてもよく出来ているのです。日本はもちろん、世界的にみても高水準の作品です。是非、みなさんに『明暗』について読むことで、その魅力を知り、楽しみ方を覚えていただきたいというのが私の目論見です。

 ですから、ほかの作品についても、高名であっても、あまり有名でなくても相応の企みと趣向があって、作品は選ばれているのです。

 

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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