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入れなかったあの店の話【新保信長】「食堂生まれ、外食育ち」50品目

【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」50品目(最終回)

 

 そういう二度と行けない店の亜種として、「入りたかったけど入れなかった店」もある。自宅と仕事場の間にある飲食店は、基本的に一度は入ったことがあるが、【4品目】で触れた「コースのみ お一人様2万5000円~」の寿司屋ともう一軒、入ったことのない店があった。

  カウンターのみの小さな飲み屋で、老夫婦が切り盛りしている。大将はかなりの高齢で腰が曲がっており、自宅兼用と思しき建物も老朽化。半開きの引き戸から中の様子がうかがえるのだが、雑然とした店内に客がいるのを見たことがない。だいたいいつも大将が椅子に座ってテレビを見ている。何度か入ろうと思ったことはあるものの、正直、衛生面の不安もあって入れないまま時が過ぎ、ある日気づけばひっそりと閉店していた。

 もうひとつ、今でもときどき思い出すのは、中学生の頃に出会った店だ。【14品目】で剣道部の夏合宿の話を書いたが、冬は冬で寒稽古というものがあった。暑いのもつらいが寒いのはもっとつらい。汗が乾ききっていない冷たい道着を着るときの感触は何の罰ゲームかと思うほど。それで裸足で竹の棒で殴り合うのだから、今考えたら正気の沙汰ではない。

  寒稽古は始業前の早朝に始まるので、それこそ5時起きとかで学校に向かう。通学駅である阪神電鉄の梅田駅までは【3品目】で書いたドーチカ(堂島地下センター)を通って行く。その入り口のある大きな交差点によくトレーラーの屋台が出ていた。

 最近オフィス街などで見かけるキッチンカーより大型で、車体後方にビニールテントで囲った席もあったが、たぶん車内で食べることもできるタイプ。まだ明け切らない冬の朝、そのトレーラーからもうもうと湯気が出ている。うどんかラーメンか、何かほかのメニューか知らないが、とにかくすこぶるあったかそうなのだ。 

 ああ、あの店に入りたい! 通りすがりに何度もそう思った。しかし、中学生にはハードルが高い。ましてや寒稽古に向かう途中である。そんな寄り道をしている時間はない。いや、別に遅刻したっていいじゃん、そもそもなんであんなつらいことをやらなきゃいけないの? と今なら思うが、当時はムダに真面目だったのだ。

 結局、その店に入ることはなかった。おそらく深夜から早朝にかけての営業なのだろう。ほかの時間帯で見たことはないし、道路使用許可を取ってるかどうかも怪しい。何の店だったのかもわからない。もしかしたら寒さと眠さのあまり幻覚を見たのかもしれない。それくらい、あのもうもうたる湯気と窓から漏れる光は幻想的だった。

 どちらの店も入れなかったし二度と行けない。とにもかくにも皆さんに言っておきたいのは、「いつまでもあると思うな、親と店」ということだ。気になる店に出会ったら、勇気を出してドアを開けよう。ただしボッタクリには気をつけて。 

 約2年にわたって書き綴ってきた連載も今回が最終回。毎回の方もたまに見るだけの方も、ご愛読ありがとうございました。単行本化の予定もありますので、そちらもぜひよろしくお願いいたします。

 

文:新保信長

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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