箸と愛国【新保信長】「食堂生まれ、外食育ち」48品目
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」48品目
「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【48品目】「箸と愛国」をご賞味あれ!
【48品目】箸と愛国
外食と家庭の食卓の違いのひとつが箸である。最近は経費節減のためか、リユースできるプラスチックの箸を提供する店もあるけれど、外食においてはやはり割り箸が主流だろう。一時期、エコロジー的観点から割り箸が目の敵にされたことがあったが、あれは誤解も含まれていた(原材料が国産の間伐材か輸入材かによっても違う)し、コロナ禍においては使い捨てのほうが安心な面もある。
一方、家庭の食卓においては、塗り箸やプラスチックの箸が多い。自炊をしない単身者の場合はコンビニなどでもらってきた割り箸を使うことも多そうだが(というか、独身時代の私がそうだった)、親子など複数の人間が同居している家庭なら、使い捨てではない箸が個別に用意されているのが一般的なのではないか。
試しにツイッター(改名したという噂も聞くがよく知らない)のアンケート機能を使って「子供の頃、家でご飯を食べるときに、どれが誰の箸か決まってましたか?」と聞いてみたら、「決まってた」が89.3%と圧倒的多数を占めた。「決まってなかった」はわずか10.5%。残りの0.2%は「その他」で「記憶にない」などだった(投票総数2830)。ここまで大差がつくとは思わなかったが、予想どおりの結果ではある。
日本のみならず、中国、韓国、ベトナムなど東アジアの国々でも箸は広く使われている。が、個人専用の箸が決まっているのは(おそらく)日本だけだ。その点についてエッセイストの山口文憲は、「お箸は一夫一婦制」と題したエッセイ(1992年刊『空腹の王子』所収)で、次のように述べている。
〈お箸と持ち主との関係が、あたかも一夫一婦制のように厳格で排他的なのは、どうやら日本だけらしい。/そこで日本人は、くだんの割箸という便利な制度を発明した。すなわち割箸は、その場限りの不倫の相手。いくらもったいないなあ、惜しいなあと思っても、一夫一婦制に忠実であろうとすれば、婚外交渉の相手とは、そのつどきっぱりと手を切らなければならないのである〉
したがって、いくらエコロジストたちが割り箸排斥運動をしても、個人用の箸を持つという文化がなくならない限り割り箸もなくならない、というのがブンケンさん(本名は「ふみのり」だが愛称としてそう呼ばれる)の主張であった。
この「個人の箸=正妻/割り箸=愛人」の対比論には思わずヒザを打ち、当時担当していた女性誌の書評欄で著者インタビューもした。長年外食を続けている人間にとって外食は「日常そのもの」であり、それゆえ特別にうまいものである必要はないといった話にも共感する部分が多く、それこそ元祖「孤独のグルメ」ではないかと思っている。