残業メシ格差【新保信長】『食堂生まれ、外食育ち』38品目
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」38品目
「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【38品目】「残業メシ格差」をご賞味あれ!

【38品目】残業メシ格差
出版界には“変人ワンマン社長”みたいな人が少なからず存在する。角川春樹氏などはその最たる例だが、角川氏ほど有名じゃなくても、負けず劣らずの人はそこかしこにいるものだ。私がフリーになる前に勤めていた出版社の社長もなかなかすごかった。
まず、会社で犬を飼っている。それも豆柴とかトイプーではなくブルドッグだ。この時点で「ああ、あの会社ね」とわかる人にはわかってしまうが、そのブルドッグの名を仮に「ハンゾウ」としよう。ハンゾウは私が勤めていた頃すでにまあまあ老犬で、だいたいいつも社長のデスクの隣の寝床で寝ていた。しかし、残業中に小腹が空いてカップ麺など食っていると、匂いを嗅ぎつけて起き出してくる。
そこで「なんかくれ」と足をガブーと噛まれても、社員は「やめろよハンゾウ~」とか言うだけで、振り払ったり、ましてや蹴り飛ばしたりはしない、というかできない。なぜならハンゾウは会長だから。登記簿上どうなってるかは知らないが、社内的にはそういうことになっていた。筆頭株主という噂もあった、いわゆる“お犬様”である。社長が床に寝転んで「ハンゾウかわいいねえぇぇ♡」とムツゴロウばりになでくり回したりベロベロ舐められたりしているのも日常的光景だった。
夏場はステテコにランニングという裸の大将みたいなスタイルで社内を徘徊する社長。各雑誌の編集部に顔を出しては「おまえら誰のおかげでこんないい雑誌作れると思ってんだ?」と問う。すると社員は「○○さん(社長の名前)のおかげです!」と答える。そこで社長が「それだけか?」と更問いし、「ハンゾウさんのおかげです!」と返すまでがお約束。令和の今はもちろん、当時(平成初期)としてもかなりどうかしている。
女子社員を「おい、そこのブタ!」とか平気で呼んでいたし、アルバイト男子も「アルマイト! 牛丼買ってこい!」と弁当箱並みの扱い。傘下の編プロから社長のお眼鏡にかなって(かどうかは知らないが)移籍した形の私は、ある程度自由にやらせてもらっていたけれど、社長の命令は絶対で逆らうことは許されなかった。
それでも、出版人としては天才と言うしかなく、企画力や時代を読む目は素晴らしかった。先進的なアイデアの雑誌を創刊し、特集企画も自分で考え、時にはレイアウトも自分でやる。雑誌で仕掛けた流行の品を別会社で売る。「本当は全部自分でやりたいけど、手が回らないからおまえらにやらせてやってるんだよ」というのが社長の基本スタンスだった。