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「夏休みゼロ」はお上への忖度なのか? 自由と工夫なき『学習指導要領』に意味はない

【第23回】学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

果たして今年の子どもたちの夏はどうなるのだろうか…

■文科省の通知は、学校に対する忖度勧告になっていないか

予想はしていたものの、こんなに早く表明するところがあるとは驚いた。
4月22日に兵庫県小野市の蓬莱務市長が、市内の市立小中学校と特別支援学校について、夏休みをゼロにする方針を表明したのだ。これはもちろん、新型コロナウイルス感染症の影響による休校期間分の授業内容を取り戻すための方針である。
それに先立つ4月21日、文科省は『新型コロナウイルス感染症対策のために小学校、中学校、高等学校等において臨時休業を行う場合の学習の保障等について』という通知を出しているのだが、その冒頭には「<臨時休業中の学習の保障等について(新規)> 学校が臨時休業中であっても最低限取り組むべき事項等についてまとめましたので通知します」という文言が添えられている。言い換えれば「臨時休業中でも、これだけはやれ」というわけだ。そして、文面は以下のように続く。

「先般実施した『新型コロナウイルス感染症対策のための学校の臨時休業に関連した学習指導等の取組状況調査』の結果、個別の児童生徒の学習支援・心身の確認状況等に自治体間に大きな差が見られることなどが明らかになりました」
これはつまり、「ちゃんとやっていないところがあるぞ」という、文科省からの「お叱り」だ。だから「最低限取り組むべき事項等について以下の通りまとめました」と言うのである。

文科省は徹底して、学校に対して文科省が望む形での対応を求めている。だから兵庫県小野市のように、早々と夏休みゼロを発表するケースが出てくる。「文科省が望む形での学習の保障」とは、もちろん、学習指導要領の年度内の完全履行でしかない。これを実現するには、夏休みなど取っていられないのである。
しかし、そもそも学習指導要領を絶対的なものとして、それに従う授業をしなければならないのだろうか。「学習の保障」とは学習指導要領を完全履修することなのだろうか。
最初に学習指導要領がつくられたのは、戦後間もない1947年である。そのときには『(試案)』とされている。そして、その「序論」には次のように述べられているのだ。

「直接に児童に接してその育成の人に当たる教師は、よくそれぞれの地域の社会性の特性を見てとり、児童を知って、たえず教育の内容についても、方法についても工夫をこらして、これを適切なものにして、教育の目的を達するよう努めなくてはならない」
また、こうも記されている。

「この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない」
つまり、教育課程は『学習指導要領』によって固定化されるものではなく、教員が子どもの現実に即してつくっていくものだと明記されているのである。
ところが当時の文部省(2001年の中央省庁再編で文部科学省に変更)は、1958年改定の『学習指導要領』から『官報』に掲載することによって、「国家基準として法的拘束力を持つ」と一方的に主張していくこととなる。学習指導要領を「試案」から「絶対的」な存在にしてしまったのだ。

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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