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「夏休みゼロ」はお上への忖度なのか? 自由と工夫なき『学習指導要領』に意味はない

【第23回】学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■学習指導要領の呪縛から逃れる時期が来た

 その理由を、以前、埼玉大学教育学部の高橋哲准教授に訊いたことがある。彼は、次のように説明した。

 「当時の社会党や共産党寄りの日本教職員組合(日教組)が急速に力を持ちはじめたため、そこに自主的な教育課程編成を認めてしまってはマズい、と保守党が考えた。その意向で、文科省が動いたことになります」
その根拠のひとつとして高橋教授が示したのが、『戦後教育はなぜ紛糾したのか』という書籍だった。著者である菱村幸彦氏は1958年入省の元文部官僚(文部省官僚)で、文科省行政に詳しい人物である。当時の日教組は「『学習指導要領』は国による教育への不当な介入である」として反対運動を繰り広げており、それに対抗して文科省は法的拘束性を主張したのだという。菱村氏は次のように述べている。

 「法的拘束性の論理は、文部省が好んで言い出したことではない。日教組が宗像理論を楯に学習指導要領への反対運動を強めたゆえに、やむをえず持ち出した法理論である」
文部省も、学習指導要領を法的拘束力のあるものにはしたくなかったというわけだ。しかし、政治的な理由により、学習指導要領を絶対的なものにしたのだ。
そして、この「子ども不在」の学習指導要領が、いまでも引き継がれてしまっている。
ただし、それらは法律として明文化されているわけではなく「官報に掲載されているのだから法的拘束をもつ」という文科省の解釈が存在しているにすぎない。高橋教授は次のようにも述べた。

 「文科省や教育委員会が、自分たちの指示に学校や教員は従わなければならないという『雰囲気』をつくっているだけです。学校や教員も、文科省や教育委員会の意向を忖度して動いてしまっています」


 今回、兵庫県小野市が表明した夏休みゼロ方針は、まさに忖度の典型と言えるだろう。冒頭に述べた通り、文科省も「通知」によって「学習支援・心身の確認状況等に自治体間に大きな差が見られることなどが明らかになりました」と忖度を求めている。
学習指導要領は、4月から正常に授業が行われることを前提にしているはずである。しかし、今はその前提が崩れているのだから、学習指導要領そのものを見直すことが必要である。そこを無視しておいて、完全履修を学校現場に強いているのが文科省なのだ。そして、教育委員会も学校も、そんな文科省に忖度して、無理やり授業時数を確保しようとしている。
これでは子どもたちと教員が疲弊していくのは当然であろう。

 学習指導要領の完全履修を実施したいのであれば、前提とされている期間の確保を文科省は検討すべきである。4月から授業ができなかったのだから、スタート時期を後ろにずらせばいい。盛んに議論されている『9月入学・新学期』の検討は、文科省だからこそできることではないだろうか。教育委員会や学校にこれ以上の無理を強いるのではなく、自らがやるべきことは山程あるはずだ。
そして、教育委員会や学校も、いいかげん忖度はやめてみたらいい。子どもたちに主体性を求めるのであれば、自らが主体的になった方がいい。
新型コロナウイルス感染症によって、教育は発想の転換を迫られてもいるのだ。

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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