「これ以上は無理です」と言えないあなたへ伝えたい大切なお話【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』の牧師が語る優しい夜話
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)が話題の著者で牧師の沼田和也氏が、日常生活や会社員生活において、「もうこれ以上は無理です」と言えずにストレスを抱え込むあなたへ送る大切なお話。
あなたは独りではない。身近な人に、助けてと言おう。そういったことが言われ始めて久しい。電車内の広告で、自殺防止のための相談窓口のホットラインを見かけることもある。
それでも、死ぬ人は死ぬ。なぜ、相談してくれなかったのか。なぜ、誰にも言わないで逝ったのか────深い後悔や悲しみが遺される。
人はなぜ、自分を追い詰めてしまうのか。教会で牧師として働くわたしのもとには、幾人もの「もう死んでしまいたい」という人が連絡をとってくる。実際に来訪してくれる人もいる。そういう人たちに、共通するキーワードがある。
「周りの人には、言えなかった」
追い詰められた人のなかには、もちろん文字通りの意味で、孤立無援で暮らしている人もいる。たった一人でアパートの部屋に暮らし、生活保護を受けており、訪れる者は誰もいない。自分に生きている意味などあるのか? 絶望のなかで、最後の話し相手を求めて、わたしのもとに連絡をしてくる人もいる。だが、見かけ上まったくそうではない人もいるのだ。周りの人、すなわち家族と仲良く暮らしており、友人もそれなりにおり、仕事もしている。家族や友人とはうわべだけの付き合いだというわけでもない。けっこう深い話もしたりする。だが────「もうだめだ。死にたい」、これだけは言えない。ぜったいに言えないのである。
理由はさまざまである。言っても理解されないから。言えば必ず「死んじゃだめだ!」と止められるのが分かっているから。話が重すぎて、相手が引いてしまうから。今の関係を壊したくないから。いずれかの理由で、あるいはいくつもの理由が複雑に絡み合って、人は「死にたい」と打ち明けることができないでいる。
そもそも、「死にたい」と感じる、そのぎりぎりに追い詰められるまで、自覚がなかったという人もいる。がむしゃらに働いている。無理をしているつもりはない。まだまだやれると思っている。だから、頼まれたことは断らない。頼まれたことを断らず、どんどんこなしていけることに、むしろ喜びさえ感じている。しかしいつの間にか、疲労が蓄積しているのである。強い緊張にさらされ続け、ストレスが限界に達しているのである。気づかないうちに限界に達した人のなかには、心筋梗塞やくも膜下出血などで、ある日突然倒れてしまう人もいる。
一方で、なぜか朝、起きれなくなる人もいる。夜、一睡もできなくなる人もいる。その両方に苦しめられる人もいる。精神を病んでしまうのである。
肉体の病とは異なり、精神の病は、厳しく自己管理している人ほど、それを認めることができない。「甘えてはいけない」「これがプロフェッショナルというものだ」「今が踏ん張りどきだ」。このとき、もしも周りの人たちが彼あるいは彼女のことを愛し、あるいは評価していたとしても、むしろ、本人は愛されており、評価されているからこそ、決して言えないだろう。「もうすべてを投げ出したいんです」とは。そんなとき、目の前に死の選択がちらついてくる人が、少なからずいるのである。