会話に付きまとう「噓」と「真実」を見極めるのは難しいけれど…【福田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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会話に付きまとう「噓」と「真実」を見極めるのは難しいけれど…【福田和也】

福田和也の対話術


「会話において、噓とは何か、真実とは何か、ということ自体がきわめて難しい。それが解れば、対話術について免許皆伝といってもいいくらいです」と語るのは、このほど初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』を上梓した福田和也氏。さらに、噓もまた、対話において、きわめて大きな要素になる、お世辞も悪口も、噓の助けを借りなければ魅力的にはならない、と。この会話における不透明性を、どう弁(わきま)えていくかによって、人生の豊かさが変わっていくという。これまで世間で語られてきた会話術に飽き足らない読者へ。「大人の対話術」の世界へようこそ。


 

 

■会話の不透明性について

 

 噓もまた、対話において、きわめて大きな要素ですね。お世辞も悪口も、噓の助けを借りなければ魅力的にはなりません。

 というよりも会話において、噓とは何か、真実とは何か、ということ自体がきわめて難しい。それが解れば、対話術について免許皆伝といってもいいくらいです。

 例えば、パーティなどで、私が見るも無残な女性に、「お美しいですね」と云ったとします。

 客観的な、科学の世界(といったものが容貌について成り立つかどうか解りませんが)では、私の言葉は噓にほかならないでしょう。

 しかし、対話の世界では、必ずしもそうではありません。

 彼女は、たとえ無残でも、以前よりはましになっていたのかもしれない。あるいは、私が何らかの理由で彼女を誘惑しなければならず、その目的のために実際彼女を美しいと思うようになっていたのかもしれない(実際、そういう能力をもった男がいるのですね、世の中には。私には残念ながら、ありませんが)。あるいは、私が彼女を傷つけるつもりで、彼女がそれを反語としてとること。つまり「美しい」という言葉を正反対の「醜い」ととることを知っていて、云った場合も考えられます。

 以上の言葉は、それぞれ濃淡はありますけれど、客観的な事実に反することを云っていた、なお虚偽ではない、という場合です。こうした事態を観察して解ることは、まず対話においては、何が事実であり、その記述、表現が事実であるかどうかということは、あくまで対話者同士の形成する文脈に沿って判断され、解釈されなければならない、ということです。

 さらに肝心なことは、対話においては、真実も虚偽もその時の文脈の中で、きわめて相対的にしか存在しません。だとするならば、私たちは、こうした事情を頭に入れなければ、真実を真実として語ることは出来ないし、また虚偽を虚偽として述べることは出来ないのです。

 このことは、立場を語る側から聞く側に転じてみると、より難しいものになります。つまり、対話において、何が真実で、何が虚偽なのか、何が直言で、何が諂(へつら)いなのか、判別することはきわめて難しい。

 だとするならば、真実を真実として語り、なおかつ真実として受け取ってもらう方法、あるいは虚偽を虚偽として語りつつ、相手に真実と思わせる方法は、それぞれ錯綜するのであり、とても一筋縄ではいきません。

 

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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