なぜ人は「悪口」を言うのが楽しくてしかたないのか?【福田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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なぜ人は「悪口」を言うのが楽しくてしかたないのか?【福田和也】

福田和也の対話術


ビジネスマンにとって大きな悩みのひとつが「コミュニケーション能力を上げたいがどうしたらいいのか」だという。つまり、「対話が苦手」だというのだ。そして書店には「コミュニケーションスキルを上げる方法」「話し方のテクニック」といった本が山積することになる。そもそも「対話の本質」とは何か? 小手先のテクニックなどで対話は成り立つものなのか? むしろ対話の本質を知らずしてテクニックで乗り切ろうとしてもそれは百害あって一利なしだろう。なぜならそこには人間への観察と洞察がないからだ。選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』で福田和也氏は、「悪の対話術」を身につけてこそ真っ当な大人の対話が存在するという。今回は、みんなも大好きな……「悪口について」。


 

写真:PIXTA

◆悪口について

 

■お世辞のインフレを止めるということ

 

 お世辞の攻撃的な性格については先述しましたが、言葉での攻撃というのならば、悪口こそが攻撃である、と思われるかもしれません。

 たしかに悪口は、直接的な攻撃の方法として、きわめて有効です。しかし悪口を武器としてのみ認識してしまうことは、その効能の半分か、あるいは七割方を見失ってしまうことになる。

 悪口の効能というと、首をかしげる方が多いと思います。日本的な組織のなかでは、悪口というのは百害あって一利のないものと、考えられていますね。それはたしかに、当たっているところがあります。

 かつて竹下登という政治家がいました。この人は田中角栄なきあとに、自民党の権力中枢をずっと握っていた人です。小渕恵三元総理大臣も、竹下の弟子格にあたります。

 竹下という人は、袂(たもと)を分かった小沢一郎とは対照的に、徹底的に突出をさける、目立たないことを信条にしてきた人です。リーダーシップを隠しに隠して、何重にも根回しをして、関係者全員の顔をたてて、事態を動かしていく。

 味方を増やすだけではなく、敵を極力作らないようにして、細かい気配りを武器に、敵方にもシンパサイザーを作る。こうして自民党の他派閥だけではなく、野党のなかにも子分を作り、官界、財界、メディアに縦横無尽のネットワークを作っているのです。日本的組織のチャンピオンみたいな人なのですね。

竹下登元内閣総理大臣(1924-2000)

 竹下さんは、人の悪口を云わないことで有名でした。何しろ口癖が、「褒め言葉は相手に届くまで3ヵ月かかるが、悪口は翌日に伝わる」という人ですから。

 竹下登という人に、政治家の功罪は別として、私は強い敬意を抱いています。この人ほど粘り強く、かつ徹底的に権力闘争に勝ち抜いてきた人はいません。その、ほとんど人間離れしたといえるほどの忍耐強さと、きめ細かさは、まさしく圧倒的なものです。会社員のみなさんは、竹下さんの行動を研究する方が、徳川家康の伝記を読んだりするより何倍も処世術の勉強になると思いますよ。

 しかしまた、人間離れをした、と云いましたけれど、なかなかこういう生き方に徹するのは難しい、というよりどうしても竹下的には出来ない人がいるんですね。どうしたって、人の輪から浮いてしまう。我慢がきかない。根回しをするような繊細さをもっていない。

 そういう人たちが、生きていく上で大事なのが、「悪口」なのです。

 

■生きていく上で「悪口」は武器になる

 

 お世辞というものが、竹下的な、我慢強く周到な人にとっての武器だとするならば、悪口というのは、もっとあけすけな人にとって道具になるものなのです。

 というのも、悪口というのは、楽しいのですね。云う者にとっても、聞く者にとっても、悪口は楽しい。親友の悪口を云うのは許さん、という人もいるけれど、たいがいの人は、どんな親しい人の悪口も喜んで聞くものです。自分からは云わないまでも、人が云う分には楽しくて仕方がない、というような人が随分いる。

 無論あまり激しくやると、毒舌家という評価が固まってしまって、警戒をされてますます浮いてしまう恐れがありますから、その辺には注意が必要ですし、どの人について、どの程度の批判をしていいのか、ということについては、かなり繊細な注意が必要であることは云うまでもありません。特に女性ばかりのグループで悪口を云う場合は、独特の配慮が必要になるでしょうね。俎上に上げられた当人への伝わり方が、早いだけでなく、さらに歪曲されますから。

 しかし、以上の点に留意した上ならば、悪口は絶大な効果をもちます。日本的な、風通しの悪い、湿度の高い組織風土のなかで、悪口というのは、きわめて普遍的な娯楽であるからです。

 特に、誰からも嫌われている、あるいは迷惑がられている人について、悪口を並べることは、きわめて安全かつ安価な娯楽となるでしょう。

 この場合、大事であるのは、悪口を云うあなた自身が、その喜びを客観化しておくことです。湿った風土で、上司の悪口を云う、という快感にもろに浸ってしまうと、最終的には自分自身を卑しめる結果になってしまうからです。つまりは、陰湿になってしまう。

 だから、悪口という娯楽に興じつつも、云う自分を客観視しなければならない。もっと具体的に云うと、その場で悪口に興じているメンバーの中で、あなたの云う悪口がどのように受け取られ、働いているのか、ということを常に用心深く観察している必要があるのです。悪口は、快楽をもたらしますが、それに浸り切ってしまうと、その奴隷になってしまうからです。

 その点に留意さえすれば、悪口には多くの利点があります。

 悪口には、コミュニケーションの道具として、きわめて優れた力があります。悪口を云うという場を共有することで人と結びつくことが出来る。意思疎通の糸口にもなるのです。

 悪口を共有することで、心を許しあったかのような感覚を、交わす相手との間でもつことが出来る。これこそが悪口の効用です。繰り返しになりますが、それはきわめて仮初(かりそ)めのもので、また陰湿なものに転化しやすいということさえ認識しておけば、なかなか便利なものです。

 特に依頼心と警戒心が強く、自分からは口火を切らないくせに、悪口を聞きたくてウズウズしているといったタイプにたいしては、悪口という餌を与えることで、一定の影響力をもつことすら出来ます。

 

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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