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名古屋人以外も知っていてソンはないまち〈小牧〉

名古屋地名の由来を歩く

ノンフィクション作家、谷川彰英が名古屋をたどる。寺院の数が日本一多い愛知県。『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より、名古屋の街並みの魅力を紹介する。

小牧

 小牧というと、私たちの世代には「名古屋空港」といったイメージが残っている。私自身も一度か二度利用した記憶がある。昭和27年(1952)に定期路線を開設してから平成17年(2005)に「中部国際空港」(愛称・セントレア)が開港されるまで、名古屋の玄関口としての役割を果たしてきた我が国の代表的な空港の一つであった。

 昭和30年(1955)、東春日井郡の小牧町・味岡村・篠岡村が合併して小牧市が誕生。現在人口は約15万を数えている。

 小牧が歴史に登場するのは信長がここに城を構え、清洲から移ってきてからである。

 信長は永禄3年(1560)5月、桶狭間に今川義元を討ち取り、念願の美濃攻めを開始することになった。永禄5年(1562)には清洲城において家康との同盟関係を樹立した。いわゆる「清洲同盟」である。

 美濃攻めの第一歩として信長が目をつけたのが小牧山であった。小牧山は広い濃尾平野の中にある孤高の山で、標高86mの高さである。86mと聞くとさほど大した山ではないように思うが、平野の中にたった一つだけこの高さの山があると、誰でも目につく存在となる。東西約600m、南北約400mで、山全体の総面積は約21ヘクタールに及んでいる。

 清洲同盟を結んだ翌年の永禄6年(1563)7月には、早くも信長は主要兵力をそっくり小牧城に移している。さらに翌永禄7年(1564)には犬山城を攻め落として尾張全体を支配下に置く。その3年後の永禄10年(1567)には、金華山の稲葉山城を攻めて、斎藤龍興を追いだして、居城を小牧城から金華山に移すこととなる。そして、城の名を「岐阜」と変えることになる。

 この一連の動きを見ると、いかに信長が戦略に長け、スピーディに行動したかがわかる。信長30代前半の若さであった。

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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  • 谷川 彰英
  • 2011.10.08