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名古屋をめぐる英傑。〈織田信長〉ゆかりの地を歩く

名古屋地名の由来を歩く【英傑のふるさとを訪ねる①】

ノンフィクション作家、谷川彰英が名古屋をたどる。戦国の英傑、ゆかりの地とは? まずは最重要人物、織田信長から。夏休み、近郊の方はぜひ実際に足を運んでほしい。『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より。

信秀・信長ゆかりの地を訪ねる

 名古屋一帯で信長が生を送ったのは幼少期であるため、まず父・信秀との関係の地を歩こう。ただし、その前に、織田家がどのようにこの尾張に根を張ったのかを説明しておかなければならない。
 もともと織田家のルーツは越前国織田庄で、織田氏は当時越前国の守護の斯
波(しば)氏に仕える身であった。ところが斯波氏は応永7年(1400)ごろ、尾張国の守護を兼ねることになり、そんな事情から当主の織田常松が尾張に移ってきたことが尾張における織田家の始まりだといわれる。

 尾張国は郡が八つもある大国であり、北部四郡(丹羽・葉栗・中島・春日井と南部四郡(愛知・海西・海東・知多)の二つに分け、北部を「上四郡」、南部を「下四郡」と呼んでいた。この二つのグループの織田家が守護代として治めることになった。

 「上四郡」の中心は岩倉城であったので、「岩倉織田氏」と呼ばれ、「下四郡」はその中心地から「清須織田氏」と呼ばれることになった。

 それぞれに家老が置かれたが、次のようになっている。
  岩倉織田氏――四家老 山内盛豊――一豊

             織田七郎左衛門
             織田源左衛門
             堀尾忠助
  清須織田家――三家老 織田信秀――信長
             織田因幡守
             織田藤左衛門

 これでわかるように、山内一豊は岩倉織田家筆頭家老の血筋を引いている。そして、織田信秀は清須織田家の筆頭家老であり、その息子が信長ということになる。これらの中では信秀が戦略に長け、その子の信長によって、二つの織田家は統一されて、やがて尾張国、さらには全国制覇に夢をつないでいったのである。
 さて、信長の生誕地に関しては信秀の居城していた勝幡城説と那古野城説に分かれている。信長は二歳になる年に那古野城主となるが、それまでは勝幡城にいたと見るのが有力な説となっている。

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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  • 谷川 彰英
  • 2011.10.08