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『真田丸』ファン来訪必至! 信繁最後の激闘の地 大阪府

真田一族巡礼の旅 第9回

 大権力の共存が限界をむかえ、豊臣家を葬り去ることを決意した徳川家康が引き起こした大坂の陣。戦国の世に別れを告げた最終決戦の地が大阪であった。信繁はここで、後世に語り継がれる大活躍をする。

そうそれが真田丸の戦い。真田丸の全容はいまだはっきりしないが、真田山の地名も残る大坂城南総構え堀跡周辺は、真田の抜け穴や信繁像など必見のエリア。真田丸の痕跡を自分なりに探しながら歩いてみよう。

 大阪城(大阪城公園)―真田大助も殉じた豊臣家の象徴は今?

石山本願寺跡に豊臣秀吉が築いた大坂城。目の上のタンコブ・豊臣家を葬り去るためナンクセをつけて家康が引き起こした大坂冬の陣だが、真田丸の信繁・大助父子の奮戦でビクともしなかったため、和睦条件にかこつけてすべての堀を埋め、裸城に。そして夏の陣で豊臣家の象徴は焼け落ちた。落城のさい、大助は脱出のすすめを断り秀頼に殉じたとされる。

今の大坂城は秀忠が改修した徳川の城だが、山里丸には「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」の碑と有志による祠があり、殉死者を記した銘板に大助の名も見える。やや寂しげなこの場所は、敗者を偲ぶのにふさわしいといえる。

現天守は昭和の復興で、平成の大改修によって最上層が豊臣時代のデザインに一新された3代目

山里丸の刻印石広場近くににひっそりとたたずむ

豊臣秀頼・淀殿自刃の地碑。天守

閣の建つ本丸の裏手、山里丸の刻

印石広場近くににひっそりとたた

ずむ

 

住所:大阪府大阪市中央区大阪城1‐1

アクセス:JR森ノ宮・JR大阪城公園・市営地下鉄天満橋・市営地下鉄谷町4丁目・市営地下鉄大阪ビジネスパーク駅下車、徒歩すぐ

時間:公園内は随時。天守閣は9時~17時(入館16時30分まで。季節により延長あり)

休日:天守閣12月28日~1月1日

 

心眼寺―真田父子供養のために建立した寺

夏の陣後、信繁・大助父子供養のため創建された寺。山号は真田山、寺紋はもちろん六文銭。このあたりは真田丸跡地と伝わっていて、門前には「真田幸村出丸城跡」の碑が立ち、境内には史跡パネルが新設されている。信繁の400回忌にあたる2014年の10月には、創建当時は許されなかった信繁の墓も建立された。

心眼寺門前の真田幸村出丸城跡碑。よくみると右上に六文銭が!

住所:大阪府大阪市天王寺区餌差町2‐22

アクセス:JR玉造駅より徒歩約10分

時間:8時~17時

 

三光神社―真田の抜け穴と銅像のある聖地

真田ファン憧れの聖地。境内南側の斜面には、大坂城まで続いていたという、かの「真田の抜け穴」が口を開け、甲冑姿で采配を振るう信繁の銅像が立つ。台座石は真田家菩提寺・信州上田の長谷寺から運ばれたもので、抜け穴の扉と演出用の置き盾には六文銭があしらわれ、まさに真田一色。秋の真田祭りでは抜け穴が開放されるが、すぐ先で陸軍墓地にぶつかるため、いまだ全容は謎。台地上の小高い丘の上にあり、いかにも砦っぽい立地にもときめくが、そもそもは1600年もの歴史ある神社なので、記念撮影はお参りのあとに。

真田の抜け穴。周辺には他にも7~8つ抜け穴があったと伝わる
 

抜け穴の脇にある信繁の銅像。陣中指揮姿がかっこいい!

 住所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14‐90

アクセス:JR玉造駅より徒歩約5分

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かみゆ歴史編集部

ポップな媒体から専門書まで、歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体やサイトを一生懸命つくっている編集部。ジャンルは戦国、幕末を中心に古今東西を問わず、アート、カルチャー、宗教・神話、観光ガイドなどを幅広く手掛ける。おもな編集制作物に『戦国武将パノラマ大図鑑』(ポプラ社)、『戦国武将イラスト名鑑』、『幕末志士イラスト名鑑』(ともに学研パブリッシング)、『つぶやき戦国武将 天下統一なう』、『新選組巡礼の旅』(どちらもアスキー・メディアワークス)、『日本の山城100名城』、『春秋戦国500年の興亡』(どちらも洋泉社)、『廃城をゆく』シリーズ(イカロス出版)など。

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  • かみゆ歴史編集部
  • 2015.12.19