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『真田丸』ファン来訪必至! 昌幸・信繁の蟄居の地 九度山・高野山へゆく

真田一族巡礼の旅 第8回

関ヶ原の戦いで西軍についた昌幸・信繁父子だったが、信之とその義父・本多忠勝のとりなしで死罪を免れ高野山で蟄居となった。
まずはゆかりの蓮華定院に入ったが、やがて麓の九度山に移って家族と暮らし、苦しい生活でも信繁には大助をはじめ2男3女が生まれた。
昌幸病死ののちも、大坂の陣参戦まで信繁はこの地で暮らす。人生で最も長い14年間という雌伏くのときを過ごした九度山と高野山をたどれば、真田ファミリーの生活ぶりを身近に感じることができるだろう。

真田庵(善名称院)―昌幸が眠る真田一家の住居跡

 重厚な八棟造りの本堂が目を引く高野山真言宗の尼寺で、関ヶ原の戦い後に蟄居の身となった昌幸・信繁父子が10年余りも過ごした家の跡地に建てられた。軒瓦や門、境内の随所に六文銭が見られ、守護神として真田3代を祀った真田地主大権現が鎮座する。この地で病死した昌幸の墓や信繁・大助父子の碑、信繁が雷を封じ込めたと伝わる「雷封じの井」、与謝蕪村の句碑もある。信繁は花を愛し牡丹を育てたとも伝わり、牡丹の名所でもある。ここでの生活は質素なものだったようだが、今も庵主ひとりが管理する慎ましやかで落ち着く空間だ。

 真田庵の境内にはまた、真田庵宝物資料館という小さなミュージアムが併設されている。昌幸自作の木彫りの犬、信繁が夏の陣で使用したと伝わる槍の穂先、空色地に朱色の六文銭陣幕、自筆の書など、父子を身近に感じられる必見の展示物が並ぶ。主従が生活費と情報収集のために織って売り歩いたともいう真田紐に関する展示も興味深い。寺を創建した大安上人由来の品々や天皇宿泊時の装束も。拝観の際は庵主に声をかけよう。

真田3代を祀る「真田地主大権現」。かたわらには昌幸の墓もたたずむ

門を飾る六文銭が出迎えてくれる

信繁が雷を封じたとされる「雷封じの井」

小ぶりながらも大切な文物を伝える真田庵宝物資料館
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
アクセス:九度山駅より徒歩約10分
時間:9時~16時(宝物資料館)
休日:年末年始
真田古墳―九度山にもあった? 真田の抜け穴

 真田庵北側の門を右に出て170m ほどのところ。地面に石組みがあり、横穴が口を開けている。長い間、「この穴は大坂城に続いていて、信繁はこれを使って戦場へ出向いた」という真田の抜け穴伝説が語られていた。十勇士の郷にふさわしい話だが、実際は古墳時代後期の円墳の横穴式石室。信繁たちも入って探検したかも? と思うとワクワクするが、今は柵があって入れないので注意!

信繁が九度山脱出のさいに利用したという伝説も残る
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山
アクセス:九度山駅より徒歩約10分
  蓮華定院―真田家が宿坊契約をしていた寺院

 関ヶ原の戦い後の高野山蟄居の命で、昌幸・信繁父子が最初に入った宿坊。九度山の住居と以降の生活費もここが世話したようだ。昌幸が大名だった頃から寄進していた寺院で、信之の代になっても関係は続き、江戸時代を通して松代藩真田家と宿坊契約を結んでいた。そのため昌幸が自ら用意した位牌を祀り、また信繁が家臣に焼酎を無心した書状などが残されている。

信之と松代藩2代藩主・信政を祀る供養塔
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山700
アクセス:ケーブル高野山駅から南海りんかんバス「一心口」下車すぐ

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かみゆ歴史編集部

ポップな媒体から専門書まで、歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体やサイトを一生懸命つくっている編集部。ジャンルは戦国、幕末を中心に古今東西を問わず、アート、カルチャー、宗教・神話、観光ガイドなどを幅広く手掛ける。おもな編集制作物に『戦国武将パノラマ大図鑑』(ポプラ社)、『戦国武将イラスト名鑑』、『幕末志士イラスト名鑑』(ともに学研パブリッシング)、『つぶやき戦国武将 天下統一なう』、『新選組巡礼の旅』(どちらもアスキー・メディアワークス)、『日本の山城100名城』、『春秋戦国500年の興亡』(どちらも洋泉社)、『廃城をゆく』シリーズ(イカロス出版)など。

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  • かみゆ歴史編集部
  • 2015.12.19