スパゲティがパスタに変わった日【新保信長】『食堂生まれ、外食育ち』34品目
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」34品目
80年代は、それまでミートソースとナポリタンぐらいしかなかったスパゲティ界に、たらこ(明太子)、カルボナーラ、ボンゴレなどの新顔が普及し始めた時代でもあった。それと同時に「アルデンテ」という言葉が人口に膾炙し始めた時期でもある。一説によれば、アルデンテという言葉と概念を日本に初めて紹介したのは伊丹十三だという。1968年刊のエッセイ集『女たちよ!』(文藝春秋)の中に「スパゲッティのおいしい召し上がり方」という項があり、そこで〈イタリー人はスパゲッティの理想の茹で加減を「アル・デンテ」という言葉で表現する〉と記し、その意味やゆで方も解説している。そこから女性誌などがアルデンテ啓蒙運動を始め、徐々に広がっていったようだ。
1983年に連載が始まった『美味しんぼ』でも「対決!!スパゲッティ」と題したエピソードがある(1990年刊の25巻に収録)。そこでは豪華な具材をあしらった山岡のスパゲティよりも海原雄山が供した麵そのもののうまさを引き出すシンプルなスパゲティ(今でいうペペロンチーノとポモドーロ)が勝利する。ゆで方については、勝負のきっかけとなった若手料理人が麵をゆでる際に「まだ芯がわずかに残ってる。芯が消えかかったら上げろ」というセリフがあるだけで詳しくは語られないが、アルデンテが前提となっているのだろう。
しかし、実は『美味しんぼ』より何年も前にスパゲティのゆで方にこだわったマンガがあった。意外に思われるかもしれないが、アクションマンガの巨匠・望月三起也の代表作『ワイルド7』だ。1976年~77年にかけて発表した「灰になるまで」というエピソードで、主人公の飛葉が政官界の悪党どもが会食する高級レストランに乗り込み、勝手にいろいろ注文したうえ、スパゲティについて講釈を垂れる。
「たとえばテーブルの下へ1本落とす…2・3回はねてまた……テーブルの上へもどるってくらいの弾力……このいきのよさがほんもの」「ところが日本のレストランじゃほとんどゆですぎ 床へ落とすと2回はねるどころか一度でグッタリ スパゲティがひん死の重傷って感じね」
スーパーボールじゃあるまいし、そんなにはねたら逆に怖いが、アルデンテのことを言っているのは間違いない。前述の伊丹十三のエッセイに〈日本のレストランで食べるスバゲッティはほとんど例外なく茹ですぎてふわふわになってしまっているが、ふわふわのスパゲッティは、これはもうスパゲッティとはいえないのであります〉という一節があり、望月氏はこれを読んだのかもしれない。実際、望月氏はなかなかの食道楽だったようで、当時まだ珍しかったメキシコのチリコン料理を作中に登場させるなど、印象的な食のシーンを数多く描いている。
そんなこんなで、アルデンテは80年代には多くの人が知るところとなったものの、先ほどの『美味しんぼ』でも「スパゲッティ」と称しているように、まだ「パスタ」という呼称はあまり浸透していなかった。そこへやってきたのが、バブル期のイタメシブームである。畑中三応子『ファッションフード、あります。』(紀伊國屋書店/2013年)によれば、著者が調べた範囲で雑誌に初めて「イタメシ」という語が登場したのは「Hanako」1988年10月6日号の油井昌由樹のコラム「イタメシノックアウト旅行」だという。