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新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【15品目】選択肢のない店

【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」15品目


「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【15品目】「選択肢のない店」をご賞味あれ!


イラスト:おくやま ゆか

 

【15品目】選択肢のない店

 

 今でこそ豚丼や焼肉定食、期間限定で親子丼なんかもあったりする吉野家だが、昔は「♪牛丼一筋80年~」のCMソングどおり牛丼オンリーの店だった。牛皿は昔からあったと思うけど、あれは単に牛丼からごはんを抜いただけなので同一メニューとみなしてよかろう。味噌汁、玉子、お新香を付けるかどうかを別にすれば、基本は牛丼一択だった。

 チェーン店ではなく個人店でも「ウチはこれ一品でやってます」という店はある。行ったことはないけど有名な「亀戸餃子本店」は餃子、渋谷の「瑞兆」はカツ丼オンリーだ。神戸・南京町の「老祥記」は、豚まん一筋で100年以上。こちらは数年前に行ったことがあるが、もちもちした皮に肉汁あふれる餡が詰まった小ぶりの豚まんはバカうまで、行列ができるのもうなずける。一応イートインスペースはあるものの、ほとんどが持ち帰りの客。小ぶりとはいえ、多くの客が10個とか20個とか平気で買っていくからすごい。 

 そういう店はメニュー選びで迷う時間がないのに加え、店側は同じものをひたすら作るだけなので、たいていの場合、料理が出てくるのも早い。それにしても早すぎだろうと驚いたのは、東京・駒沢公園の近くにある牛煮込みオンリーの店である。カウンターのみの小さな店だが、店に入って椅子に座ったかどうかというタイミングで、もう目の前に煮込みを盛った皿が置かれているのだ。

 何しろメニューはそれしかないので、注文を聞く必要もない。あとは、ごはんの大・並・小を選ぶだけ。並と小で迷ったが、小にして正解。小でも一般的な定食屋の普通盛りぐらいの量がある。並だったら食べ切れなかったかもしれない。ほかの客もいたが、ごはんの量を指定する以外に声を出す必要がないし、お酒も置いてないので二人組とかでも会話はほぼなし。妙にストイックな空間になっていた。

 肝心の煮込みは、たっぷりの牛肉に豆腐とコンニャク、煮込まれて形のなくなったネギらしきもの……といった感じで、すべてが渾然一体となったまろやかな味わいが胃に沁みる。煮汁も皿からこぼれんばかりにたっぷり(実際こぼれがち)で、レンゲかスプーンが欲しいところだ。

 もう一軒、単品メニューの店で記憶に残っているのは、東京・白金高輪のカレー屋である。メニューはカレーライスのみ。「英国風ビーフカレー」と謳っているが、ビーフ的な肉感は一切なし。煮込んだルーを裏ごししてるとかで、サラサラのルーに固形物はない。味の好みは人それぞれだが、食感として具がまったくないのはちょっと物足りなくはある。店頭に「お水はいっさい出しません」と明記してあるとおり、水は出ない。それは了解済みで入店しているので別にいいのだが、店内の意識高い系の注意書きはちょっと面倒くさい。

 その二つの店は、どちらも駅前通りとかではなく、たまたま入るという立地ではない。煮込みの店は、近隣に住む知り合いに「面白い店がある」と教えてもらって行った。カレーの店は、クルマで仕事先の編集部に通う途中でいつも前を通って気になっていた。それで機会を見計らってわざわざ行ったので、多少微妙なところがあっても納得できる。が、そうじゃない場合も時にはある。 

 つい先日、午後イチの取材が終わって、さて昼メシ食って帰ろうかという、よくあるといえばよくあるシチュエーション。そこそこ土地勘のある場所で、知ってる店も何軒かある。とはいえ、コロナ禍を経てしばらくぶりでもあり、店の入れ替わりも激しく、ちょっと戸惑いもあった。ずいぶん昔(それこそ30年ぐらい前)に取材したオムライスが人気の洋食店が健在で、久しぶりに入ってみるかとも思ったが、結構ボリューミーなのを思い出して「今は無理かな」と思う。店頭のメニューの貼り紙がにぎやかな中華屋やオシャレな肉バル的な店にも惹かれたが、やはり量が多そうで二の足を踏む。

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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