新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【10品目】出したいものしか出さない店
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」10品目
「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へ、あなたをタイムスリップさせるかも。それでは【10品目】「出したいものしか出さない店」をどうぞ!

【10品目】出したいものしか出さない店
たまに行く近所のピザ屋はなかなかの人気店で、いつもほぼ満席だ。それもそのはず、自分が今まで食べたピザ史上ベスト3に入るぐらいおいしいと思うし、サイドメニューもおいしい。ピザは「本日のおすすめ」から2種類選んでハーフ&ハーフにしてもらうことが多い。サイドメニューは、あまりボリュームあるものを頼むとピザが食べられなくなるので、「肉詰めグリーンオリーブのフリット」などの軽いものと、サラダを頼むのが定番パターン。そこで、気になりつつも頼んだことがないのが「シェフの気まぐれサラダ」である。
イタリアン系の店ではわりとよく見かけるメニューだが、どの店でも今まで頼んだことがない。なぜなら、まず「シェフの気まぐれサラダください」と声に出して注文するのが少々気恥ずかしい。そして、どんなサラダが出てくるかわからないのも不安。仮にキャベツの千切りだけ山盛り出されても、「シェフの気まぐれですから」と言われたら、黙ってモシャモシャ食うしかないではないか。
まあ、よっぽど変な店じゃない限り、現実的には季節や入荷の状況に合わせて使う素材が変わるだけで、ちゃんとしたサラダが出てくるのだろう。だったら「シェフの気まぐれサラダ」じゃなくて「季節の野菜のサラダ」とか「本日のサラダ」とかにしておいてくれたほうが頼みやすいと思うのだが、いったいどこからそんなネーミングが出てきたのか。
ちょっと検索してみたら、イタリアンレストランチェーン「カプリチョーザ」が、店名を訳した「気まぐれ」をメニュー名に取り入れたのが元祖という説があった。真偽のほどは定かでないが、1978年創業というから、日本のイタリア料理店としては老舗と言っていいだろう。そこから「気まぐれ」メニューが広がった可能性はありそうだ。
しかし、そんな「気まぐれ」メニューより、もっと気まぐれな店が世の中にはある。ウチの近所で、駅からはやや遠いが、そこそこ交通量の多い道路沿いに、いわゆる“隠れ家”的な店が点在する界隈。芸能人御用達の焼き肉屋や小洒落たワインバー、高級中華に若者向け焼き鳥屋など、店の種類もバラエティに富んでいる。そんななか、特にオシャレでもない古い建物の2階にひっそりとたたずむ小さな飲み屋が今回の舞台である。
なぜそこに入ろうとしたのか記憶がないが、結婚して間もなく近所の店を精力的に新規開拓していた時期だったので、その流れで入ってみたのだと思う。扉を開けると、カウンターの向こうから女将さんが「いらっしゃーい」と、一見客の我々夫婦も愛想よく迎えてくれた。とりあえずビールを頼んでから、表の階段下の黒板に「今日のオススメ」と書かれていた豚の角煮を注文すると、なぜか「う~ん、牛スジじゃダメ?」と聞いてくる女将。いや、オススメって書いてあるから頼んだんですけど……。なら、ほかのものをと、メニューにあったマグロの刺身を注文したら、「魚がいいの? 今日は牛スジがおいしいんだけどな~」と、あくまで牛スジを出したいらしい。仕方なく「じゃ、牛スジで」ということで出された牛スジ煮込みは良くも悪くも家庭的な味だったが、そこまで推すならこれを「今日のオススメ」に書けばいいのに、とは思った。
さらに女将は「今日はルッコラのいいのが入ったのよ。サラダにするといいわよ~」と猛プッシュ。有無を言わさぬ笑顔に押され、「じゃ、それで」と頼むと山盛りのグリーンサラダが現れた。が、肝心のルッコラは見当たらず。「あら、ルッコラじゃなくてセロリだったわ~」って、これぞまさしくシェフの気まぐれサラダである。
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