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新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【15品目】選択肢のない店

【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」15品目

 ここは無難に以前にも入ったことのある老舗の蕎麦屋にしようかな……と思いつつ周辺を徘徊していたら、雑居ビルの入口に定食屋の看板を発見。米にこだわりのある店らしく、店名も米がらみでごはんおかわり自由とのこと。入口の看板に書かれたその日のランチメニューはサバ味噌、冷やし豚しゃぶ、よだれ鶏の3種類だった。

 お、サバ味噌いいねえ。肉もいいけど魚もいい。若い頃から魚好きではあったけど、年を取ってますます肉より魚を選びがちだ。よし、ここに決めたとエレベーターで4階に上がり、案内看板に従って扉を開けると、そこはどう見てもカフェバー的な内装で、定食屋の雰囲気ではない。ビルの入居者表示板にも別の店名が書いてあったので、最近よくあるランチタイムだけ間借りしているパターンなのだろう。まあ、料理がうまければそれでいい。オーダーを取りに来た店主(ほかにスタッフはいなかったので店主だろう)に「サバ味噌で」と告げようとしたそのとき、事件は起こった。

 「すみません、今日は上の2つが終わってて」と店主がメニューを指し示す。上の2つとは「サバ味噌定食」と「冷やし豚しゃぶ定食」。え、ちょっと待って。3種類のうち2つが終わってるっことは、よだれ鶏一択じゃないですか。いや、よだれ鶏も別に嫌いじゃないけど、完全に気分はサバ味噌だったんだがなあ……。

 だからといって、そこで「あー、今日はサバ味噌食べたかったんで、またにします」と店を出ていくのもなかなか勇気がいる。別に店の人は気にしないかもしれないが、こっちがちょっと申し訳ない気持ちになる。「あー、じゃあ、よだれ鶏で」と注文するまでもない注文をし、後ろからひざカックンされたような気分で食べたよだれ鶏はそれなりにおいしかったが、頭の片隅にはサバ味噌が浮かんだままだった。

 数日後、近所の行きつけの定食屋に入った。狙いはもちろんサバ味噌だ。メニューには「本日のお魚定食は黒板をごらんください」と書いてあるが、だいたいサバ塩、サバ味噌、ブリ照り、ほっけ塩焼きが定番である。ところがその日の黒板には、サバ塩、ブリ照り、ほっけ塩焼きの3つしかない。そして、サバ塩とブリ照りの間に何かが消されたような空白が……。ああ、サバ味噌よ、ここでも売り切れてしまったのか?

 しょうがないのでブリ照りを食べたけど、魚は魚だから、よだれ鶏より違和感はない。前述の店も売り切れなら売り切れで入口の看板の「サバ味噌」と「冷やし豚しゃぶ」を消しといてくれればよかったのに。それなら「別の店にする」という選択肢もあったし、たぶんそうした。単品メニューの店とわかって入る分にはいいが、入ってみたら単品だったというのはつらい。職業もメニューも選択の自由は大事である。

 

 文:新保信長

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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