ウクライナ危機に「私たち」はどう向き合うべきか【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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ウクライナ危機に「私たち」はどう向き合うべきか【仲正昌樹】

■ウクライナがソ連領だったことを知らない日本人

 

 しかし、ソ連崩壊から三十年も経って、ウクライナ国民も、欧米諸国も、ウクライナは別の独立国だとはっきり認識するようになっていた。日本人の多くも(は)――ウクライナがソ連領だったことを知らないか、忘れるかしているので――ロシアがいきなり、別の主権国家に侵略したと受け取っている。

 しかも、ロシア系住民による傀儡政権を支援するため当該地域にだけ侵攻するという建前を取らず、首都を中心に全土を一挙に制圧する作戦を展開している。更に言えば、ウクライナは少数の部隊を送り込めばすぐに制圧できるような小国ではなく、人口四千三百万(イラクやポーランドより多く、アルゼンチンに近い)で、面積はスペインやフランスより広い、大きな国である。

 これだけの規模を持った他国を、“民族独立運動の支援”という名目さえ明確に掲げずに、武力だけで短期制圧して、片を付けようとしているのだから、日頃多少とも国際ニュースを見ている人間の感覚からすると、通常の国際政治の常識を大きく外れる暴挙に思える。

 の側面に関して言えば、アメリカとしてはこのまま放置すると、ロシアがこれを機に旧ソ連の勢力圏を中心に、自らの安全保障を名目に露骨に戦争を仕掛けるようになり、それに中国が便乗する可能性が高いので、何としても食い止めたい。しかし、(1)アメリカがロシアと直接戦闘するのは冷戦時代にもなかった極めて異例の事態で、どういうことになるか予測がつかない (2)東アジアや中東の安全保障のためにかなりの戦力を温存したまま、ウクライナに介入する余力がない(ように素人眼にも見える) (3)ウクライナはNATO加盟国ではないので、介入を正当化する国際法上の名目がなく、その名目に従って戦闘の範囲を限定することができない――といった事情を抱えている。

 当然、ロシア側はこれらの事情から、アメリカなど西側諸国は軍事介入できないので、短期に制圧して、首都に傀儡政権を作れば、ウクライナを再び衛星国家化することを既成事実化できる、とふんだのだろう。

 冷戦時代のように東西の集団防衛機構が拮抗していれば、犠牲になるのはウクライナの人たちだけで、日本のような遠く離れた国に影響は及ばない、と予測することができたろう。しかし現在はそういう国際的レジームによる制約がないので、どういう風に飛び火してくるのか分からない。現に、日本はロシアと国境を接していて、北方領土問題を抱えている。ロシアがウクライナ制圧に成功してしまうと、ロシアと裏で手を組んでいるように見える中国が、勢いづいて、台湾、尖閣諸島、沖縄に対して、軍事侵略を開始するかもしれない。どうしても、そういう悲観的な連想が働いてしまう。

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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  • 2020.08.25