「新選組」の本当の姿に迫った書『明治維新に不都合な「新選組」の真実』の著者・吉岡 孝氏が自身の“新選組”にまつわる思い出を語る。

 筆者は東京西郊の国分寺市というところで生まれましたが、いまから約四〇年ほど前の中学二年の終わりに、国分寺の隣にある国立市に引っ越しました。生活上のいろいろなことが変化し、かかりつけの歯医者さんも変わりました。風格があって瀟洒な扉がついた建物で開業していた近所の歯医者さんに行くようになったのです。

 その歯医者の先生は元軍医だということでしたが、温厚で洒脱で、とてもそんな風にはみえませんでした。当時の歯科治療はとてものんびりしていて、歯医者の先生は筆者によく雑談をしてくれました。筆者が歴史好きだということを察してくれて、歯医者さんの家にまつわる歴史をしてくれたのです。

 後で知ったのですが、その歯医者の先生の家である本田家は、地元では有名な旧家でした。幕末の本家の当主は本田覚庵といって、新選組局長近藤勇の親しい友人の一人でした。覚庵の日記をみると、近藤が本田家を訪ねたことが記されています。

 また、歯医者の先生の話ですと、新選組副長土方歳三の家とも親戚ということでした。「こどもの頃、日野の土方家に遊びに行ったこともあったよ。あの家は『武』の家なので、刀がいっぱいあって、チャンバラごっこも真剣でやった。でも、おばあさんにひどく怒られたよ」と豪快に言っていました。そりゃ、怒られるでしょう(笑)。

 自分は歯医者の先生と雑談をするうちに、新選組の面々が非常に身近に感じられるようになりました。それまでは小説やマンガ・テレビでみる存在でしかありませんでしたが、自分のごく近所で普通に生きていた人々、そんなイメージです。思えば近藤も土方も百姓の家に生まれていますし、他の隊士も似たようなものです。よく新選組の形容として「最後の武士」という表現がされますが、筆者がこの形容に違和感を抱くのは、そもそも彼らは武士の家には生まれていない、武士ではなかったという単純な事実のためです。新選組は庶民が作り上げた庶民の組織と考えた方がいいのではないでしょうか。

 江戸時代は身分制社会といわれますが、近年の歴史学の研究動向に鑑みれば、決して「士農工商」という身分によって整然と区画できる社会ではありません。特に一九世紀になると各身分を越境していこうという動向が顕著になっていきます。江戸時代の庶民は国家政治から排除されていたと思われがちです。基本的にはそれは正しいのですが、考えなければならない点もあります。たとえば幕末には幕府や藩に政治意見書を建白する庶民は数多く存在しましたし、庶民が国家政治に参加していく機は熟していたといえます。

 そのなかで新選組の面々は直接政治に関わっていきます。残された史料を素直に読む限り、近藤勇の見識は卓越しているように思えます。近藤には高尚な政治哲学はありませんが、豊かな情報収集と冷静な政情分析には目をみはるものがあります。

 しかし、これは近藤一人が優秀だったというわけではないでしょう。近藤は天然理心流という武術の流派のリーダーでしたが、当時の庶民社会でリーダーシップを発揮するには、それ相応の才能が必要だったのです。そのような裾野の広がりがあってはじめて、近藤のような卓越した見識が生まれてくると思います。