議論の勝敗だけにこだわる「知識人ごっこ」の輩を実名で糾弾する【中野剛志×適菜収】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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議論の勝敗だけにこだわる「知識人ごっこ」の輩を実名で糾弾する【中野剛志×適菜収】

中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第5回

 

中野:自分がテロに加担するとは夢にも思っていなかったから、そういうふざけたことが言えたんでしょうね。取り返しがつかなくなる可能性に気づいていたり、責任感があったりしたら、そんな危ないものには近づかないはずです。だから、1995年に地下鉄サリン事件が勃発すると、麻原を面白がっていた知識人連中は総崩れになった。

 新型コロナも同じです。パンデミックを経験したことがないもんだから、最初は、まさか新型コロナで大勢人が死ぬとは思わなかった。甘ったれていた、世の中を舐めていたのです。それで、なんとなく、人とは違う、気の利いたことを言いたい気分になって、あるいは、世間の風潮に反発したくなって、いつもの生命至上主義批判だの、全体主義批判だのをやってみた。「単に『国民は自粛しろ。政府は補償しろ』なんていうだけの平凡な議論では、何も面白くない」とでも思っていたのでしょう。

 その知識人連中は、一年たった今、どんな議論をしているのでしょうか。当初の主張を意固地になって言い張っているか、さもなくば「まあ、新型コロナ対策なんか、初めから、たいして関心がなかったんだよな」と斜に構えるか、そんなところでしょうか。そんな態度も、どうせ自分が新型コロナに感染して苦しい思いをしたら、コロッと変わると思うけれど。

 

適菜:だから平和ボケなのは、彼らなんですよ。山梨県の上九一色村にオウム真理教が入ってきたときに、地元の住民は反対したんです。そしたら「オウムにも自由がある」みたいなことを言い出す「知識人」が出てきた。「オウム信者の人権はどうなってるんだ?」とか。吉本隆明が「宗教の倫理と世俗の倫理は違う」とか当たり前のことを言い出して、吉本の信者もオウムの信者もありがたがってその御託宣を聞いているわけです。常識をからかうというか、相対化するというか、軽視する浮ついた時代だったんですね。その後、オウム事件の検証みたいなのもありましたが、今回の新型コロナ騒動を見る限り、なにも反省していなかったんだなと感じます。オウムと同じように被害妄想と陰謀論に辿り着き、狭いコミュニティーの中でカルト化していった集団もありました。頭はそれなりにいいが孤独な人がカルトにはまりやすい。カルトの内部では世の中を整合的に説明してくれるし、自分と似たような考えを持つ人が周辺に集まってきます。そこではじめて自分を認めてくれる人たちに出会い、居場所を見つけたような気分になる。居心地がいいから、外部の世界と乖離していても気づかない。

 一方、途中で気づいたまともな人たちは、そのコミュニティーから離れていきます。こうなると、教祖の周辺はイエスマンばかりになるので、おだてられてますます暴走していく。オウム真理教の信者たちは目の前にある現実を無視し、何が起こっても、「尊師は悪くない」「尊師はむしろ被害者だ」の一点張りでした。そして批判されればされるほど、外部の声を聞かず頑なになっていく。自分たちは正しいことを言っているのに、それを理解できないバカがいると思い込むわけです。

 

中野:それで思い出しましたが、前回の対談で、小林秀雄の「政治」と「思想」の区分に触れつつ、学問上の師弟関係と、思想運動や徒党とは違うという話をしましたね。学問の師は、徒党の指導者とは違うのです。

 学問では、弟子が師匠を批判してもよい。いや、批判できるなら、むしろした方がよい。それによって思想は磨かれるし、正当な批判であれば、両者の信頼関係は崩れない。小林秀雄も正宗白鳥を激しく批判しましたが、小林は正宗に敬意を表していました。

 ところが、徒党では、指導者を批判するのはタブーです。ですから、思想運動の徒党では、指導者とメンバーの関係は、師匠と弟子ではなく、それこそ、尊師と信者の関係のようにになってしまうのです。

 学問における師弟関係と徒党との違いは、指導者に対する批判が許されるか否かの違いですね。指導者に対する批判もできないような知識人のグループは、単なる徒党に過ぎません。その徒党の極端な形態が、カルト教団でしょう。

 徒党では、もし、メンバーが指導者を批判するようなことがあると、指導者や他のメンバーたちがよってたかって批判者を抑圧したり、排除したりして、徒党の秩序を守ろうとします。知識人の徒党の場合、カルト教団とは違って、物理的な暴力で抑圧するわけではありませんが、吊し上げとか、あるいは陰口やゴシップとか、もっと嫌らしい手口を使うんですよ。実に、みっともない話ですが、まあ、指導者やら徒党やらに依存するのは、福沢諭吉の言う「私立」ができないような情けない知識人ですから、当然、そういうことになるわけですね。

 話を戻すと、オウム真理教事件の教訓が生かされてないから、「知識人」の悪ふざけがまだ続いているのではないでしょうか。「朝まで生テレビ」もそうですし、最近ではネット番組の荒れた言論もそうですが、「どっちが勝った」「言論で対決する」「論破した」といったレベルのことをやっている。大声を張り上げて自説を押し通すか、屁理屈をこね続けて、相手がうんざりして黙ったら、「勝ち」という下劣なゲームです。そういう「勝ち負け」のゲームになった瞬間に、そんな議論はもうダメですね。

 

適菜:新型コロナの変異の問題など、状況の変化はそっちのけで、「俺はカッコいい」「自分は議論に勝った」ということにするためだけに全精力を傾けているような人もいますよね。自分を騙し続けることにより、信者と共に自閉していく。オウム事件当時、「なぜ有名大学を出たインテリがあんなばかばかしい宗教にハマってしまったのか」とメディアが騒いでいましたが、今回の新型コロナ騒動ではっきりわかったと思います。

 

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●目次

はじめに———デマゴーグに対する免疫力 中野剛志

第一章
人間は未知の事態に
いかに対峙すべきか

第二章
成功体験のある人間ほど
失敗するのはなぜか

第三章
新型コロナで正体がバレた
似非知識人

第四章
思想と哲学の背後に流れる水脈

第五章
コロナ禍は
「歴史を学ぶ」チャンスである

第六章
人間の陥りやすい罠

第七章
「保守」はいつから堕落したのか

第八章
人間はなぜ自発的に
縛られようとするのか

第九章
人間の本質は「ものまね」である

おわりに———なにかを予知するということ 適菜 収

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中野剛志/適菜収

なかの たけし てきな おさむ

中野剛志(なかのたけし)

評論家。1971年、神奈川県生まれ。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“TheorisingEconomicNationalism”(NationsandNationalism)NationsandNationalismPrizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『日本経済学新論』(ちくま新書)、新刊に『小林秀雄の政治哲学』(文春新書)が絶賛発売中。『目からウロコが落ちる奇跡の経済学教室【基礎知識編】』と『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)が日本一わかりやすいMMTの最良教科書としてベストセラーに。

 

 

適菜収(てきな・おさむ)

作家。1975年山梨県生まれ。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム近代的人間観の超克』(文春新書)、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』、『国賊論 安倍晋三と仲間たち』『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)、最新刊『コロナと無責任な人たち』(祥伝社新書)など著書40冊以上。「適菜収のメールマガジン」も配信中。https://foomii.com/00171

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