女性蔑視発言で辞任騒動、アニメ・CM放映の自粛。何のためのポリティカル・コレクトネスか?【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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女性蔑視発言で辞任騒動、アニメ・CM放映の自粛。何のためのポリティカル・コレクトネスか?【仲正昌樹】

 

■偏見の種類も、言語への現れ方も一様ではないということ

 

 ジョン・パッテン(1945-)というのは、保守政権で教育相を務め、左翼の教育者を攻撃したことで知られる政治家である。ホールの主張はクリアだが、一応、少しだけ解説しておこう。

 人間は生きている間にいろんな偏見を身に着け、それを日常の言葉遣いに反映させるが、偏見の種類も、言語への現れ方も一様ではない。ある人にとっては、この単語は間違いなく差別的意図を持っていると思えても、他の人たちはそういう意味で使っていないかもしれない。ごく中立的な言葉がいつのまにか差別を助長するものになっていたり、その逆もある。生活している地域、年齢、職業集団、エスニック・グループごとに差がある。実際の歴史的出自、受けた教育や歴史観の違いで、「黒さ」を示す呼称で呼ばれるより、African Americanと総称される方がましだと思う人も、その逆に、より屈辱的だと思う人もいる。誰かの見方が「正しい」と最終決定されれば、他の人は間違っていることになり、制度的に「矯正correct」されるしかない。

 多くの人が絶対的に固定されていると思っている民族、人種、ジェンダーなどに関する既存のアイデンティティを相対化し、新しいアイデンティティを作り出すための文化的闘争を繰り広げようとしているホールとしては、言語の意味を完全に固定化し、この言葉遣いは「正しい」、これは「間違っている」と決める判定表のようなものを作ってしまうのは、逆効果だ。「君はどういう意味で、この言葉を使っているのか?」、「この言葉遣いに、差別的な要素を感じるのはどうしてか?」、と問いかけ、討議することができなくなり、どっちが定義する権力を握るかを決める、人数獲得競争にしかならない。

 左翼の理論家であるホールは、左の仲間に対して、右と同じようなことをやるなと言っているわけであるが、これは右の立場でも言えることである。日本という国を構成する様々な歴史と伝統、地域的・職業的慣習についてちゃんと学び直し、日本語をより豊かなにするような言葉遣いを探究すべきというスタンスを取る冷静な保守派であれば、マルクスやアメリカのリベラル系の政治家・知識人の発言を全てNG扱いしたり、左と見なされている人の言葉尻を捉えて、「あっ、〇〇と言ったな、おまえこそ差別主義者だ!」式のことを言って、マウントを取ったつもりになるのは、愚かなことだと“仲間”を諭すべきだろう。

 自分は「正しい」言葉遣いを知っている、それと違った言葉遣いをする奴は、差別主義者か無知だ、という前提で、最初から相手を攻撃したら、話は始まらない。攻撃された方は、よほど寛大な性格でなければ、腹を立てて反発し、「差別して何が悪い」と開き直るか、うるさいので、しかたなく黙っている、ということにしかならない。これは、狭義のPCに限らず、ハラスメントや差別問題一般について言えることである。

 責めている側も、勝手に相手がその言葉に込めた意図を勝手に想像して怒っているだけのことがある。思い込んだまま“勝って”しまうと、思い込みが更に増幅し、無意味な対立がどんどん増幅していく。日本の“ネット論壇”で起こる“論争”の大半はその手のものであると言っていいくらいである。

 2017年7月の東京都議選の応援演説で、安倍前首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」、と発言して問題視された。当時、保守系と思われるコメンテーターたちでさえ、「安倍さん、やっちゃったな」、というようなことを言っていたが、私には全く腑に落ちなかった。恐らく問題視していた人たちは、「こんな人たち≒こんな非国民ども」、と自動的に翻訳していたのであろうが、私には、「こんな人たち=応援演説会場で、大声を出して、応援演説が聞こえなくするというような、民主主義のルールを無視する人たち」、という意味で言ったとしか思えなかった。無論、安倍さん本人ではないので、どういうつもりで彼が「こんな人たち」と言ったのか分からないし、本人も、苛々して咄嗟に口に出ただけなので、その当時の心理を正確には再現できないだろうし、彼が現時点で自己解釈しても、あまり当てにならないだろう。

 私は普段、左か右に偏った人や、神経質な学者、芸術家の類いと付き合っていて、発言の途中で遮られたうえ、一方的にレッテル貼りされて、いらっとすることが多いので、安倍さんのケースのような話を聞くと、妨害された方に同情してしまう。いずれにせよ、「こんな人たち」がどんな人たちかはっきりしない以上、問題にできるのは精々、演説中の首相の言葉遣いとしては冷静さを欠いていた、ということだけであって、PC的に彼の意図を強引に推し量ったりすべきではない。

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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