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森会長失言問題をオリンピック不開催の原因にしようとする日本的な生贄の風習


森喜朗元会長の失言と辞任、そして東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会のドタバタ混乱ぶりはいったい何を意味しているのか? 各紙新聞書評で高評の『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』の著者である哲学者・仲正昌樹氏は、この問題に漂う空気に「日本的な生け贄の風習」を嗅ぎ取っている。問題の本質は何なのか? 仲正氏が明晰に分析した最新論考。


 

2021年2月17日。記者会見する橋本聖子五輪担当相。

 

 今月三日のJOC臨時評議会の席上、東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会の会長である森元首相が、JOCで女性の理事を増やすことに関して、女性がたくさんいる会議は時間がかかるという主旨の発言をし、内外のメディアで大きく取り上げられた。翌日の釈明会見でも、御迷惑をおかけしました発言を撤回します、と簡単に答えてすませようとしたので、更に批判が強まり、辞任に追い込まれた。それで収まるかと思ったが、後任人事をめぐって、川淵元JFA会長や橋本五輪担当相が相次いで本命として浮上したが、大人の事情らしきもので話が進まなくなり、オリンピックの開催の是非や解散総選挙の時期などとも絡んで、どんどん政治化の様相を呈している。どうしてこれだけこじれてしまったのか、考えてみよう。

 まず、森氏の失言の意味合いについて考えてみよう。不平等や差別などを連想させるこの種の不適切発言を考えるうえで重要なのは、それが職務権限のある人の発言で、当該の組織における差別的な扱いを正当化する主旨のものであるか、である。そうであれば、その組織や関連機関に対する信頼を損なったことになるので、深刻な問題である。職務権限と関係ない問題での失言であれば、当人は公共の場での発言の仕方を弁えない人物として批判を受けてしかるべきであるが、組織の存立に関わる問題ではないだろう。その出発点が曖昧なまま、騒ぎが広がっていった感がある。

 その肝心な点で、森氏の発言はかなり微妙である。女性の理事を少なくとも増やすことが検討されていたのは、JOCであって、組織委員会ではないし、森氏自身はJOCの理事でも評議員でもない。ゲストとしての挨拶の中で、女性の理事を少なくとも4割にしたいという文科省等の意向に言及して、自分の経験から余計なことを言ってしまったのである。本当にただのゲストであれば、JOCなどから組織委員会に正式抗議して、それを当人が受け入れて、謝罪すれば済んだはずの話である。

 ただ、東京オリンピックをめぐって組織委員会とJOCが一体になって動いており、組織委員会の会長は単なるゲストではない。加えて、森氏は、文教族出身の元首相でスポーツ行政に強い影響力がある(と思われている)。彼の不用意な発言が、文科省やJOCの幹部に必要以上に忖度させ、女性理事の登用が困難になる、ということは十分想像できる。

 森氏は首相在任当時から、重要な局面でその場だけのウケを狙って、軽率な発言をして、自らが火種になることを何度も繰り返してきたので、「また森さんか」と思った人も少なくないだろう。ただ、今回は人事が絡むだけに、国立競技場のデザインや浅田真央選手の転倒に対する軽口コメントとは違って、いずれにしても、簡単に済ませるわけにはいかなかったろう。自分の発言がそうした影響を及ぼすことに思い至らず、思ったことをそのまま口にしてしまうようでは、スポーツ行政の要職に留まり続けるべきではないだろう。大物政治家の何の気ない発言が、全体の方針を何となく決めてしまい、どういう神通力が働いているのか分からないため、みんなダンマリを決め込むという、いかにも日本的な状態は、オリンピックの有無にかかわらず、解消されるべきだろう。

 そうした問題の本質を踏まえたうえでの森氏辞任要求であれば、至極当然であると私も考える。しかし、実際には本質を外れたところで、辞任要求が一人歩きしていたように思える。

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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