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民主主義に「根回し」は不要か

人間は、自分が思っているほど理性的ではないし、公共的意識も高くない

 

 更に、意見集約の段階で、利害関係者やうるさそうな人に対しては、事前に非公式の場で本音を言わせたうえで、妥協の余地を探り、意見がまとまりやすくする準備作業も必要だ。不特定多数の見ている前で、感情的な対立が表面化すると、和解が困難になるからだ。

 日本語で「根回し」と呼ばれるのはこの段階での作業だろう。「根回し」には、当事者たちの本音を探り当て、感情を害しないような言葉と身振りで説得できるスキルが必要になる。何のスキルもない人が、「根回し」を試みると、かえってもめごとを起こす恐れがある。

 

 「根回し」において、ごく一部の声の大きい人、金や権力のある人、たくさんのコネがある人だけが、極秘裏に(in private)特別な利益を得ているとすれば、それは、みんなが平等に発言権・決定権を持っている、という「民主主義」の前提に明らかに反するだろう。“永田町と霞が関の癒着の政治”の病理として長年批判されてきたのは、こうした不当な利益配分だろう。

 

 不当な利益配分と結び付いているという疑いがつきまとうため、「根回し」は批判される。贈収賄かどうか曖昧な問題が浮上するたびに、不当な利益配分を隠蔽する「根回し」の政治を廃止し、決定すべき事項全てを公に(in public)して議論すべきだという論調が高まる。

 リクルート事件が発覚して、竹下内閣が退陣に追いこまれた九〇年代初頭から、次第にその傾向が強まっていった。民主党政権が目玉にした、公開の場での「事業仕分け」は、そうしたトレンドを受けたものだろう。

 

民主党政権が目玉にした、公開の場の「事業仕分け」の様子

 

 しかし、細かな事情を知らなければ適切に判定できないような問題を、無理に公開の場での審議の対象にすると、聴衆ウケを狙った大仰な物言いや、既得権益者らしき存在に対する集中攻撃などが横行し、民主党政権が掲げていた「熟議」とはかけ離れたことになる。

 

 ほとんどの人間は、身内だけと過ごす日常(=私的生活)において大なり小なり傍若無人に振る舞い、偏見に満ちたわがままな発言をしているものである。身内はそれをかなり許してくれる。

 公的な場で議論するための準備が出来ていない人間が、そういう日常感覚の延長で、民主的な討論に加わろうとすると、互いに醜いエゴを見せ合うことになり、熟議などなり立たなくなる。

 

 二〇一八年の秋に、南青山に児童相談所を建設するという計画を港区が発表した時、地元のセレブたちが住民説明会で、「児童相談所が出来たら、地価が下がる」「治安上の不安がある」「南青山の生活水準を目の当たりにしたら、児童相談所に通ってくる子たちがコンプレックスを感じて、かえって可哀そう」、などとエゴと偏見を丸出しにした発言をしたことが話題になった。

 左の人たちは、「不当な特権意識を持っており、子供の人権がどれだけ重要か理解していない」と批判し、右の人たちは、「日本人としての公共心の喪失が嘆かわしい」と批判した。セレブとしての品格のない似非セレブだと批判する人たちもいた。

 

 しかし、住民説明会というのは、公的な討論会だろうか。発言の順序や議題を正確に決めた公聴会ならそうかもしれないが、単なる説明会で、誰に聞かれても恥ずかしくない理性的な発言をしなければならないのだろうか。事前の「根回し」なしに、地方行政の担当者から、「こういう計画があるのですが、どうお考えになりますか」、と初めて聞かされたら、脊髄反射的に思ったまま、我がままな発言をするのが普通ではないか。

 住民説明会で我がままを言うのが適切かという問題はあるが、思ったままの我がままを言わせてもらう、privateな場は何らかの形で必要だろう。そうでないと、“社会的に正しい結論”を一方的に押し付けられることになる。

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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