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民主主義に「根回し」は不要か

人間は、自分が思っているほど理性的ではないし、公共的意識も高くない

  

 また、仮に冷静で公平な意見が複数出てきた時、それをどうやって相互に比較し、集約するのか。誰かがまとめるしかない。その人は信用できるのか、どうやったら信用できる人だと分かるのか。「一般意志二・〇」的に考えれば、現代においては、集計のためのプログラムを使えばいいということになろうが、誰がそのプログラムを作るのか、という問題が出てくるので、結局、問題を先送りにするだけになる。ルソー自身は、人々に、「一般意志」の表現としての「法」を与えるには、神々が必要であろう、と述べている。

 

ハンナ・アーレント(1906-1975)、哲学者、思想家

 

 ハンナ・アーレントは『革命について』(一九六三)で、公的領域における仮面(persona)をかぶった自己と、私的領域におけるありのままの自己の差をなくし、むき出しの本音のむき出しの本音に基づく“政治”の危険性を指摘している。自分たち(多数派)の感情に適合する意見だけを、普遍的な人間性に適った意見として是認し、感情的に反発する意見を、耳を傾けることなく、全否定するのが当たり前になり、全ての人が同じ価値観を持つ全体主義社会を求める風潮を生み出すからである。

 

 全ての人が理性的な議論の作法を身に付けることができないとすれば、「根回し」による事前調整は必要だ。それが、不当な利益配分に繋がらないのであれば、一概に「根回し」を否定すべきではない。

 森元首相は、自分がよく知っている分野の人に働きかけ、事前合意を得るのはうまいのかもしれないが、ごく少人数の(=プライベートな)サークルでのウケ狙いの発言と同じ言葉遣いで、公開の場でもしゃべってしまう傾向が強いようだ。つまり、「公/私」の使い分けが下手なわけであり、その点で、「根回し」上手とは言えない。表に出てはいけない私的感情や偏見を不注意で表に出してしまったら、「根」で回すことにはならない。

 

 こういう風にまとめると、“差別的な本音”を公の眼から隠して温存すべきと言うつもりか、と怒る人がいるかもしれない。確かに、各種の不平等や対立を生み出す、お互いの差別意識をなるべく除去するために議論することは重要である。

 しかし、私的領域に潜んでいる感情を無理やりに表に引き出し、“差別的な本音”の持主を糾弾して、性格改造を迫れば、アーレントが危惧している通りになる。人間の心には、表に出さない方がいいものがたくさん潜んでいることを前提に、いかにそれを制御して、公共の場での熟議を形のうえだけでも成立させようとするのであれば、「根回し」は必要だ。

 

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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