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信繁の大坂入城!

季節と時節でつづる戦国おりおり第447回

 慶長19年10月6日(現在の暦で1614年11月7日)、真田信繁が流刑先の紀州九度山を脱けて徳川幕府軍との対決準備を急ぐ豊臣秀頼の大坂城に入りました。
『土屋貞知私記』には「年来秀頼扶持を受け」ていてこの度入城した、と書かれていますが、あるいは以前から九度山の信繁に秀頼からの援助が有ったのかも知れません。

 しかし、信繁は元々大坂城で秀吉の人質として青春時代を過ごし、従五位下左衛門佐に叙任もしてもらい、豊臣上級家臣の大谷吉継の娘を妻とした頭の先からつま先まで豊臣カラーに染まった人間で、成り上がりの秀吉の家中ではほとんど譜代といってもいいほどの位置にいましたから、豊臣の危機に際して立ち上がるのは当たり前だったのでしょう。

『大坂陣山口休庵咄』によれば、この日の信繁は幟から甲冑まで赤一色で統一した「赤備(あかぞなえ)」に金の瓢(ふくべ=瓢箪)の馬印という軍勢6,000で入城したという事です。元々の供回り数名にくわえて九度山村から付いてきた地侍たち、さらに故郷の信州上田から駆け付けた旧臣もいたのですが、そのほとんどは秀頼が箔付けのために加えた牢人兵たちだったのでしょう。彼らは同じ牢人衆の長宗我部盛親、後藤基次、毛利勝永らとともに最前線に立って豊臣家の最後の栄光のために戦うのです。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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