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名古屋をめぐる英傑。〈織田信長〉ゆかりの地を歩く

名古屋地名の由来を歩く【英傑のふるさとを訪ねる①】

岐阜城を訪ねる

 さて、信長ゆかりの地として外せないのは、やはり岐阜県金華山にある岐阜城であろう。この城が歴史上有名になるのは、斎藤道三が天文8年(1539)に入城し、ここに居城したことによる。当時は「稲葉山城」と呼ばれていたが、信長が斎藤龍興と戦って勝利を収め、城下の「井之口」という地名を「岐阜」と改めさせた。それと同時に「稲葉山城」も「岐阜城」と改称した。

 信長はこの岐阜城下に「楽市・楽座」を設け、広く商業発展政策を講じ、多くの商人で岐阜は栄えることになった。

 ではこの「岐阜」という地名、どのような経緯でつけられたのか。

 一般に流布している説によれば、尾張「政秀寺」を開山した沢たく彦げん宗そう恩おんの進言によるものという。「政秀寺」とは、信長の行状を諌めて自刃した平手政秀を祀った寺である。
 沢彦宗恩は「岐山、岐陽、岐阜」という三つの候補を提案し、そこから信長が選んだとされる。これは中国の故事にならったもので、周の時代に「岐山」というところに都を置き、そこを拠点にして殷いんの国を滅亡させた縁起のよい地名とされる。「岐山」という山は西安近くに実在する山で、この山にちなんだということになっている。

信長生誕の地といわれる勝幡城址

岐阜城から西方を望む。眼下に長良川

「岐」という漢字は「岐路」「多岐」というように「枝道」とか「分かれる」という意味を持っている。それに加えて「阜」は「大きい」とか「おか(丘・岡)」の意味である。

 すると、信長には居城した金華山が、左右を見分けることができる「大きな丘」に見えたのではないか。

 それを確かめるために、金華山に登ってみた。ロープウエイを降りて七分ほど階段状の尾根道を登ると、そこに今の岐阜城が建てられている。城からの展望が息を呑むほど美しい。「すごい!」の一言である。西は伊吹山から東は名古屋の高層ビルまで濃尾平野が手に取るように見える。標高はわずか320メートルだが、濃尾平野の海抜はせいぜい20〜30メートルであるため、300メートルの落差がある。

 確かにここは「岐阜」(左右を見分けることのできる丘)なのだ。さすがに「天下布武」をかざした人物の目のつけどころは違う!

『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉

【周辺ガイド】

津島神社:戦国時代津島に隣接する勝幡城の出身である織田信長は、津島神社を氏神と仰いで造営その他に協力した。さらに秀吉をはじめ豊臣一門は信長に引き続き、秀吉は天正19年(1591)楼門(重要文化財)を寄進し、 慶長3年(1598)には、秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県文化財)を寄進したほか、社領等を寄進造営したという。名鉄津島線津島駅より天王通りを直進。

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 谷川 彰英
  • 2011.10.08