夢見る「第二のユニフォーム」は母校。山本昌「ピッチングコーチになって甲子園に行きたい」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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夢見る「第二のユニフォーム」は母校。山本昌「ピッチングコーチになって甲子園に行きたい」

セカンドキャリアにおける、山本昌の夢とは? まさかのピッチングコーチ、そのチームは?

Q.山本昌さん、将来の夢を教えてください

 近い将来であれば、やはり今の仕事の能力をもっと高めていきたいですね。解説など、みなさんの前でお話しさせていただく仕事がメインですから「もっと、しっかりと伝えていきたい」という思いは強いです。
 

 
 もちろん、指導者としてユニフォームを着たいという目標もあります。中日ドラゴンズをはじめ、お世話になった日本の野球界に恩返しをしたい。別に監督になりたいわけじゃないんです。それも含めて「もう一度、ユニフォームを着てグラウンドで勝負したい」と。私の知識や技術が役に立つのであれば、どの世界でもいいから行きたいと思っています。

 私としては、本当にプロなどのこだわりがないんです。一番現実的な目標を立てるのであれば、母校である日大藤沢高校で指導することですかね。奇しくも、現在、母校の監督をしているのは私の弟、山本秀明です。日大藤沢は2007年のセンバツ以来、甲子園から遠ざかっていますから、何とか全国で戦えるようにお手伝いできたらいいですよね。

 可能ならば、弟が監督で私がピッチングコーチをしてみたいです。正直な話、高校野球の指導者だけに専念するのは難しいかもしれないので、臨時コーチでも立場はなんでもいいんです。時間があるときに母校に行って投手陣を指導する。そういった生活をしてみるのもいいですよね。

 日大藤沢じゃなくてもいいんです。今まで縁がなかった高校、大学でも、お話をいただけるのなら、できる限りのお手伝いはさせていただきたい。それが、私をここまで成長させてくれた野球への恩返しだと思っています。

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山本 昌

やまもと まさ

1965年8月11日、東京都生まれ。神奈川・日大藤沢高から83年秋のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。プロ5年目、88年の米国への野球留学をきっかけに飛躍し、同年8月プロ初勝利。以後はスクリューボールを武器に活躍する。93年に最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得すると、翌94年には連続最多勝利と沢村賞に輝く。97年にも最多勝利。2006年9月16日対阪神戦でプロ野球史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン、08年8月4日の巨人戦で史上24人目となる通算200勝を樹立。通算581試合に登板し219勝165敗。


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