「令和の怪談」ジャニーズと中居正広に行われた私刑はもはや他人事ではない(1)【宝泉薫】
「暴露本でも書こうかな。タイトルは『V6へ』(笑)」
ちなみに、この番組は生放送ではなかった。つまり、元ジャニーズの番組にゲスト出演した元ジャニーズがこれをネタにして、カットもされないという程度の状況と化していたわけだ。
ところが、今となってみれば、この暴露本の意味は小さくない。近年のジャニーズ騒動において、ジャニーにまつわる噂や都市伝説がなぜか事実認定されていくなか、この本は彼の生前に行われた告発例として再注目され、いわば噂や都市伝説を実体化する役割を果たしたからだ。しかも、書いた側も書かれた側も故人だから、事実かどうかは確かめようもない。
そこに加えて、ジャニーの死の前後から「暴露」自体の意味も変わった。芸能界の「いろいろ」が生みだす「恨み節」として受け流されていたのが、それを使って有名人を大勢で叩くための道具になってしまったのだ。
もっとも、そこから「ジャニーズ潰し」のようなことまで起きるとは、誰にとっても想定外だっただろう。それくらい、ジャニーズという帝国は盤石に見えていた。ちょっとやそっとの暴露では揺るがないはず、だったのである。
その盤石ぶりは、タレントの結婚をめぐる対応でも発揮されていた。そのあたりについても『ニノ結婚、でよみがえる「ジャニーズの妻」になれなかった女たちの涙と怨念』という記事をこのサイトで書いている。ジャニーの死から4ヶ月後、二宮和也の結婚をとっかかりに、さまざまな女たちの悲喜こもごもに思いを馳せた文章だ。
ただ「ジャニーズ潰し」が現実化したあたりから、ジャニーズアイドルの結婚が目立つようになった。かつては「グループのなかでひとりしか結婚できないルールがある」という説もささやかれるほど「ジャニーズのくびき」みたいなものも感じさせたが、今では複数のメンバーが既婚者というグループも珍しくない。それはそれで、おめでたい傾向だ。
とはいえ、その傾向と事務所のパワーダウンがつながっているとしたら、手放しでは喜べない。男女問わず、アイドルは異性のファンから憧れられ続けることが生命線なので、独身のほうが何かと好都合なのだ。結婚だけでなく、恋愛が公になるのもできれば避けたいのが、ジャニーズに限らず、運営サイドの本音だろう。
そのあたりについて、ジャニーズはかなりうまくやってきた。それは長年、経営上のトップであり続けたメリー喜多川の剛腕によるところが大きい。彼女がタレント教育やメディア対策に力を注いできたことで、ジャニーズとの結婚はハードルが高いものとなった。
しかし、そんな高いハードルに挑み、超えてみせたのが、工藤静香や木村佳乃といった女傑レベルの芸能人だ。特に人気絶頂の木村拓哉をものにした工藤については、尋常でないパワーを感じる。それも、ジャニーズ事務所が最も勢いのあった2000年のことだから、恐れ入るほかない。

ただ、ここで考慮すべきはSMAPの特殊性だ。国民的グループでありながら、ジャニーズ内では本流ではなかった。ブレイクさせたのはジャニーでもメリーでも藤島ジュリー景子でもなく、喜多川一族にとっては他人の飯島三智。「事務所内独立」という表現もされるほど、ジャニーズ本流からは外れたグループで、大晦日恒例のジャニーズカウントダウンライブにも不参加だった。工藤が「キムタクの妻」になれたのも、そういうグループのメンバーだったことが有利に働いたのではないか。
そんなSMAPは「ジャニーズ潰し」にも影響を与えることになる。破綻の予兆、あるいはその始まりとなったのが、16年のSMAP解散騒動だからだ。
あの騒動から、ジャニー&メリーの死を経て、ジャニーズ潰しが進んでいく。その流れを次回以降、見ていくとしよう。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)