「令和の怪談」ジャニーズと中居正広に行われた私刑はもはや他人事ではない(1)【宝泉薫】
もちろん、こうなるに至った経緯に疑問を抱く人も少なくない。24年の秋、SNSでは「ジャニーズ冤罪」というハッシュタグが話題に。そこで、筆者もこんな投稿をしてみた。
「#ジャニーズ冤罪。今後のキーワードになるかもしれないな。厳密には、というか、法的には冤罪ですらなくて、自称被害者とメディア、活動家によるでっちあげみたいなものだし。タレントやスタッフはもちろんのこと、ジャニー喜多川ですらもはや被害者だろ。」
これにはフォロワー数を大きく超える「いいね」がつき、背中を押された気がした。「ジャニーズ潰し」の奇妙な経緯について振り返ること、そのなかで改めて感じたジャニーズのタレントやファンの魅力や底力について記録することは意味のあることだと思えたからだ。
もっとも、攻撃的な内容にはしたくない。このバッシングには、何かと怪しいものも感じるが、あちら側にしてみれば、ジャニーこそ怪しいということが根拠や動機なのだろうから。
ただ、中居正広をめぐっても、ジャニーのセクハラを事実だと決めつけ、それによるトラウマが彼の性癖にも影響して女子アナとのトラブルにつながったのだと、テレビなどで発言する人がいる。その偏向した見方については異議申し立てをしたいところだ。
ジャニーのセクハラが存在したかどうかは本来、法に委ねるほかない。それがないまま、汚され、踏みにじられたかのように思えるジャニーズという文化、そして本来あるべき芸能の復権を試みたいというのが、最大の目的だ。
まずは19年7月、ジャニー喜多川が世を去ったときのことを思い出してみよう。
多くのメディアがこの偉才の死を惜しみ、功績を称えたり、手がけたアイドルたちとの交流エピソードを紹介するなどした。セクハラ云々の疑惑に触れたメディアはほとんどない。
そんななか、筆者はこのサイトで『最大の危機と内助の功 ジャニー喜多川とは何者だったのか?』という記事を書いた。彼の少年愛的嗜好についても長年それなりに考えるところがあったので、そのあたりも踏まえつつ語ってみたわけだ。
この記事を自分で読み返して改めて考えるのは、北公次による暴露本『光GENJIへ』(88年)が持ってしまった不思議な意味についてだ。どこまで信用してよいのか、当時も今も、その判断が難しい。ただ、それまで噂や都市伝説的なものでしかなかったジャニーの性嗜好とそれにまつわる言動について、かつて人気のあった元ジャニーズアイドルが本に書いたのは衝撃的だった。売れるのも当然だろう。
とはいえ、所詮、暴露本だ。もっぱら興味本位で売れはしたが、やがて忘れ去られ、そのかわり、ブックオフのような中古書店で大量に見かけるようになった。その内容についても、すべてが事実だと思った人はいなかっただろうし、逆に、すべてが嘘だと感じた人もいなかっただろう。当時の空気感としては、まぁ、芸能界だし、いろいろあるのだろうけど、結局、落ちぶれた芸能人の恨み節だよね、みたいなものが大きかった気がする。

そして、ブームから10年余りがすぎた01年、これをテレビでネタにした人がいる。元・光GENJIの諸星和己だ。番組はかつてジャニーズで同じ釜の飯を食った元・シブがき隊の薬丸裕英が司会をしていた『ウラまるカフェ』(TBS系)。平日朝にやっていた『はなまるマーケット』のトークコーナー「はなまるカフェ」の深夜版で、きわどいしゃべりが売りだった。それもあって、諸星はジャニーズ時代の思い出などを面白おかしく語り、そのうえでこんな自虐的なことを言ったのである。