無駄や退屈を恐れるな!「タイパ」世代に忠告「隙間を埋め尽くすのではなく、隙間を生み出せ」【小西公大】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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無駄や退屈を恐れるな!「タイパ」世代に忠告「隙間を埋め尽くすのではなく、隙間を生み出せ」【小西公大】

「タイパ」を人類学する

文化人類学者・小西公大

 

◾️文化人類学と時間

 

 自らの大学生活を振り返っても、文化人類学を学んできた感覚からいっても、この状態は、少し異常事態に思える。VUCAと呼ばれる見通しの効かない未来に対する恐怖心の増大や、「自分みがき=自己研鑽」「自己実現」の大号令による焦りや、ICT機器やSNSの普及による消費行動の変化(特に隙間時間にマーケットを拡張させる「時間資本主義」の浸透)など、その要因は複合的なものだろうが、あまりにも囚われ過ぎている、と感じるのは私だけだろうか。

 人類学を学ぶと、「時間」というものが近代以降、空疎で抽象的で直線的なものになりつつ、私たちの生活を大きく縛るものとなっているという、その感覚や状況から逃れることができる。この学問は、世界のさまざまな文化形態において、時間があまりにも多様に、豊かに設定されてきた人類史的な知見を身につけることができるからだ――循環(周回)する時間、可逆的(元に戻れる)な時間、緊張/弛緩(伸び縮み)する時間、曲線的な時間などなど。

 実際に私たちは、耐えられない冗長で退屈な時間と、夢中であっという間に過ぎ去る時間の双方があることを知っているし、空腹などの身体感覚や生理などの周回する時間があることも知っている。四季にも敏感でいたいし、例年お祭りの季節はワクワクし、死者を悼む服喪の時間を大切にしたりする。過去の出来事に囚われて動けなくなったり、未来の出来事が突然ふって湧いてきたようなデジャヴ感覚も経験する人は多いだろう。しかし、私たちの採用してきた近代的時間は、それらの感覚を退け、時に排除し、あくまでも直線的で抽象的に設定された時間に従わせようと、私たちを追い込む。どんなにお腹が空いていなくても、食事の時間は確実に設定された通りに、厳かに取り行われる。大地震や豪雪などの天災でも、出社に間に合うよう慌てふためく人々の姿が典型的だ。

 こうした時間をベースにして、さらにその隙間にあらゆる消費行動を詰め合わせていこうとする発想が、「タイパ」概念の根幹にあるのではないか。工場での生産効率と労働者の科学的な管理法を求めて19世紀末から20世紀初頭に生まれたテイラーシステムなる生産管理の方法が、いまだに深く根付いている現代社会において、私たちは何の疑問も抱かずにそのシステムに従属することを選択してきた。私は、そのことを否定するつもりはない。生産性や効率性が重要な指標となる分野も多いし、PDCAサイクルを高速で回すことで得られる利益もあるだろう。問題なのは、私たちの社会がこうした時間感覚に、多様な可能性を制限・排除してまでも全振りしてしまったことだろう。その感覚は、教育や働き方を通じて、私たちの日常生活全般を支配するようになる。まだ生産活動に完全に従事していない学生ですら、「タイパ」を称揚するような社会なのだから。

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小西公大

こにし こうだい

文化人類学者

東京学芸大学 人文社会科学系 教育学部 准教授 1975年生まれ、千葉県出身。博士(社会人類学)。東京大学、東京外国語大学での研究職を経て、2015年より現職。現在は社会人類学的な知見を基盤として、音楽・芸能やアート手法を用いた社会的ネットワークの構築や地域開発の可能性に関する研究と実践に勤しんでいる。フィールドも、インドとともに日本の島嶼部に広がっている。主な著作は『人類学者たちのフィールド教育:自己変容に向けた学びのデザイン』『萌える人類学者』『フィールド写真術』(共著)など。

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