「人を見る目を養え」長州力の教えと、フリーランスで生きていくための才覚とは(池野慎太郎)【篁五郎】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

「人を見る目を養え」長州力の教えと、フリーランスで生きていくための才覚とは(池野慎太郎)【篁五郎】

写真:池野慎太郎氏提供

 

 一人のカメラマンが伝説のレスラーと一緒にテレビに出演した。彼の名前は池野慎太郎。1980年代に「革命戦士」としてプロレス界に一時代を築いた長州力の娘婿だ。

 長州力のYouTubeチャンネルにもたびたび登場し、プロレスファンにも顔を知られるようになった彼のマネージャーだ。YouTubeでは、長州にいじられっぱなしの池野さん。しかし一方では、カメラマンとして活躍している顔を持っている。

 今回は池野慎太郎さんにカメラマンとして心がけていることや、長州力との思い出を語ってもらった。

 

カメラマンを目指すきっかけ。修行時代の駄目な自分

 

 高校時代はおしゃれでファッションに敏感だった池野さん。当時は長髪で斜に構えた雰囲気だったという。

「カメラマンを目指そうと思ったのは、すごく好きなブランドがあったんですね。そのブランドが発表した写真を見たとき「かっこいいな。こんな写真が撮れるようになりたい」と思ったからです。それで高校を卒業した後、カメラマンの専門学校へ進みました」

 カメラマンとしてファッション業界に関わりたいと思い、写真専門学校で基礎を学んだ後は、多くの女性誌を発行する出版社のスタジオカメラマンのアシスタントとして働いていた。上下関係が厳しい世界で、どんな思いをしていたのだろう。

「修行時代の最初の頃は毎日「やめたい」と思っていました。当時は、日が昇る前に出勤をして、深夜に帰宅をするという生活でした。お日様を見ないのは当たり前でしたし、給料も月5万円。とてもじゃないけど、自立なんてできません。30歳くらいまで実家暮らしをしてました」

 丁稚奉公のイメージが残っている世界だが、先輩や師匠から厳しい指導やハラスメントなどは受けていたのだろうか。

「仕事中に足を踏まれたり、怒られたりするのはしょっちゅうでした。それも嫌で辞めたいと思ったこともあります。でも、今振り返って見ると、当時の僕は怒られても仕方ないと思います。この仕事は、カメラ技術や知識を早く身につけて独立しないとスタート地点に立つすらできません。そのために先輩や師匠へ自分から疑問を聞きにいく姿勢が必要だと思います。でも、あのときの僕は言われたことしかやらない。何を考えているかのもわからないような態度でした。それじゃあ怒られて当然です。

 今振り返ると、本気でやる気があるのかどうかを試されていたのかもしれません。でも、今は怒ったり、意地悪されたりすることはありませんので、カメラマン志望の方は怖がらないでください」

次のページカメラマンとして独立。自分が仕事をするときに大切にしていること

KEYWORDS:

オススメ記事

篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

この著者の記事一覧