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人はだいたい同じものを注文する【新保信長】「食堂生まれ、外食育ち」46品目

【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」46品目

 

 保守的と言われればそうかもしれない。が、それはきっと私だけではない。いつだったか、出先で初めて入った老舗の立ち食いそば屋でイカ天そば(立ち食いそばにおける私の定番メニュー)を食べていたら、常連らしきおじさんが入ってきた。顔を見るなり店のおねえさんは「卵と玉ねぎでいい?」と声をかけ、おじさんは黙ってうなずく。そして、あっというまに生卵と玉ねぎ天トッピングのそばが提供される。見ていてほれぼれするほどの無駄のなさ。その流れるような連係プレーが成立するということは、おじさんはもうそれしか注文しないし、店の側もわかっているということだ。

 ウチの実家の食堂でも、顔を見ただけで注文がわかる客がいた。激混みのお昼休みの時間帯をちょっと過ぎた頃に来るサラリーマン。フロア担当の女子従業員が「いつもので?」と聞くと、やはり黙ってうなずく。すると、これまたあっというまにきつねうどんと巻きずしが出てくるのであった。

 たまたまその場面を目撃したことがあり、子供心に「なんかすげー」と感心したが、親に聞いたら、ほかにも何人か、そういう客がいるらしい。日常使いの店では、人はだいたい同じようなものを注文してしまうものなのだ。たぶんそういう人は「この店ではコレ」と決めていて、メニューは固定で店のほうをローテしているのだと思う。違うものが食べたいときは違う店に行けばいい。それはそれでひとつの見識であろう。むしろ毎回必ず違うメニューを注文するという人のほうが少数派ではないか。

 ただし、だからといって客の側が「いつもの」と注文するのは基本NGだ。そこまで常連として認知されているとは限らないし、客の思う「いつもの」と店側が思う「いつもの」が一致しているとも限らない。それで思っているのと違うものが出てきても文句は言えないし、寿司屋で「アガリ」などの符丁を使うのと同じくらいダサい。店側に「いつもので?」と聞かれるまでは、粛々と同じものを注文し続けるのが吉である。

 私の場合、そこまで完全固定はしないので、しょっちゅう行く店でも「いつもので?」とは聞かれない。というか、レギュラーメニューのほかに「本日のおすすめ」みたいなのがあれば、それを頼むことも多い。どうせなら「いつもの」とは違うものを食べたい気持ちもあるし、その日しか食べられない(かもしれない)レアメニューが指名上位にくるのは当然だ。

 とはいえ、「いつもの」はレギュラーの中で一番そそられるからこそ「いつもの」枠に収まっている実力者。野球でいえば不動の四番打者である。その牙城を崩すのは容易ではない。私の数十年に及ぶ外食経験上、「いつもの」がメニューから消えてガッカリすることはあっても、新メニューが下剋上で「いつもの」の座に就いた例は記憶にない。そもそも新メニューが定着すること自体、少ない気がする。やはり、人間の舌は保守的なのかもしれない。

 そして今日も私は、いつもの店でいつものやつを注文するのである。

  

文:新保信長

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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