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社会から受けるコントロール【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第8回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第8回

 

【他者、そして社会による束縛】

 

 人間は群れを作る動物だから、集団で生活し、協力して行動するルールが自然に生まれた。それらが、常識やマナー、ルール、そして法律になった。かつては、身分、土地、あるいは血縁関係に縛られた生活を強いられていた。これらは、しだいに緩み、個人の権利が認められる社会になった。若者が都会や海外へ出ていくようになり、最近では、逆に田舎へ移住する人も増えている。

 科学技術が進歩し、個人の行動を制限するものは昔に比べて激減した。将来はもっと自由になるだろう。たとえば学校では時間割が決められているが、それは、先生が人間で、しかも一人だから、大勢に同じことを教えるしかないためだ。もし、先生がAIになったら、それぞれが好きな時間に好きなことを学べるようになるだろう。

 週末や休日が決められていて、人々が同じスケジュールで活動しているのは、大量生産をするために、工場などで協力し合って同時に働く必要があったからだ。他者と歩調を合わせることが、これまでは常識だった。しかし、そろそろそんな必要のない社会になりつつある。好きなときに働き、好きなだけ休めるような仕事が増えるだろう。そして、どちらかというと、そちらの方が自然なのは野生の動物を観察してもわかる。うちの犬たちは、人間に歩調を合わせて生活しているけれど。

 大事なことは、何が常識か、何が自然か、という判断の基礎となる個人の価値観なるものが、長く揺らがないほど強固なものではない、という点である。考え方は、年齢を重ねるにしたがって変化する。もちろん、社会も時代とともに変化する。「これはこういうものだ」とある時期に見切ったつもりでいても、少し時間が経てば、もうそのとおりではない場合が多い。

 さらにもう一点、みんなが望んでいることが、その願いのまま実現するとは限らないこと。どういうわけか、「そんなはずはない。これだけ大勢が願っているのだから」と考える人がいる。でも、たとえば、オリンピックで日本の選手の金メダルを願うようなもので、単なる願いがいくら集まっても、実質的な力にはならないから、願いどおりの結果を導くことはむしろ少ない。もっと現実的な理由によって、結果はだいたい決まる。

 どうして日本の政府は国民の願いを叶えられないのか、と思い悩む人も大勢いるだろう。消費税なんか撤廃した方が良い、と考える。それが正義だと認識している。もちろん、そのとおり、誰も税金なんか払いたくない。

 そういった考えの是非はともかく、この種の「願い」にも、人は束縛されている。願って、期待して、じっと睨みつけている。でも、願いも期待も叶わない。そうして、自分の目の前にある不満、不安から逃れられなくなる。願うこと、期待することで、時間を取られ、別の道を選ぶチャンスを逃す。これも、社会による束縛の一つではあるが、実はそれを作り出しているのは自分だ。もちろん悪くはない。そういう趣味だと考えれば、贅沢なものかもしれない。

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✴︎森博嗣 新刊『静かに生きて考える』2024年1月17日発売✴︎

 

 

森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。どうぞご期待ください!

 

 

世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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