「夫婦の肖像」新保信長『食堂生まれ、外食育ち』【29品目】
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」29品目
「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【29品目】「夫婦の肖像」をご賞味あれ!

【29品目】夫婦の肖像
ウチの食堂は結構な人数の従業員を雇っていたが、世の中には夫婦だけで切り盛りしている店も少なくない。多くの場合、夫が調理、妻が接客を担当する。そういう店はスペース的に小規模ということもあり、たいていオープンキッチンだ。つまり、注文時や料理が上がったときの夫婦のやりとりが客に丸わかりなのである。
もう20年ぐらい通っている近所の居酒屋もそのパターン。一時期、フロアにバイトが入っていることもあったが、最近は夫婦二人だけでやっている。福々しい感じの奥さんは愛想よく、フロアへの目配りも万全。阪神の打撃コーチ・今岡真訪を圧縮した感じのご主人は職人タイプではあるものの、たまに見せる笑顔がかわいい。注文の際の「お刺身三点盛りいただきましたー」「あーりがとうございまーす」というコール&レスポンスの呼吸もぴったりだ。
しかし、これだけ長く通っていると、たまに「ん?」と思うこともある。なんかギクシャクした雰囲気で、注文コールに対するご主人のレスポンスがなかったり、奥さんは奥さんで「厚揚げ急いでくださーい!」なんて急かしたりして。それに対してご主人が「今やってまーす!」とか言っちゃって。文字で書くと伝わらないかもしれないが、ちょっと言葉にケンがある。混んでて忙しいせいもあるかもしれないが、それだけじゃない。「あー、なんかケンカしたんだなー」と想像してしまうし、たぶん正解なのであった。
そらまあ、職場でも家でも一緒で一日中顔を合わせていたら、衝突することもあるだろう。ウチの両親も同様の環境だったわけで、ほかに従業員もいたから店ではあからさまにしなかっただろうけど、年に何回かは「なんかちょっとピリピリしてるなー」と子供心に感じることはあった。今の我が家は編集・ライターの自分と漫画家の妻で、仕事場も妻と共有なので似たような環境ではあるが、めったにケンカはしない。わりと年取ってからの結婚だったし子供もいないしお互い好き勝手に仕事してるし、ケンカのタネが少ないということはある。
その点、接客業は大変だ。「お客様は神様です」という言葉を水戸黄門の印籠のように振りかざした迷惑客がやってくる。客の来店時間や人数はコントロールできないので、満席で断らざるを得ないこともあればガラガラのこともある。前述の居酒屋は夕方5時開店なのだが、8時頃に行って口開けの客だったこともあった。在庫をキープしていられる商売と違って、飲食店は食材のロスも、ある程度は出てしまう。それやこれやを夫婦だけで回していたら、ストレスも溜まるだろう。
だからといって、客前で険悪な空気を醸し出すのはよろしくない。店主が従業員を客に聞こえるところで叱り飛ばしてるのもメシがまずくなるが、夫婦が険悪なのはさらに気まずい。先日たまたま入ったそば屋で、おそらく夫婦と思われる厨房のおじさんとフロアのおばさんが、「聞いてねえよ!」「さっき言ったでしょうが!」などとものすごい勢いで怒鳴り合っていて、「なんかすみません……」という気持ちになってしまった。商店街の老舗っぽい店だったので、それはそれで芸風なのかもしれないが、一見客としては居心地悪い。
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