世界の複雑さと向き合うための、シンプルな方法。『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』著者・片岡大右氏インタビュー |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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世界の複雑さと向き合うための、シンプルな方法。『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』著者・片岡大右氏インタビュー

 

■世界の複雑さと向き合う、シンプルな方法

――藁谷さんが注目した「インフォデミック」に関して、私も2ちゃんねるで見た「小山田のいじめ」コピペの内容をずっと信じていました。私はオリンピックでの炎上後にSNSで流れてきた『QuickJapan』の記事を読んで「あれ、なんか話が違うんじゃない?」と思い直しましたが、今回の本は『ROCKIN’ON JAPAN』の記事に先行するインタビューから丁寧に追って検討していて、「小山田圭吾に関するインフォデミックが起こらなかった世界」を仮想体験していく本にもなっていると感じました。

 このように自分自身がインフォデミックに巻き込まれていた事実を目の当たりにして、だとすると今回以外の件でも現在進行形で印象操作の渦中にいる分野もあるはずですから、そのことに恐怖を感じています。

 本書の副題で「現代の災い」と銘打たれたインフォデミックとはどういったもので、私たちはどうやってインフォデミックの時代を生きていけばいいのでしょうか。

片岡:まずインフォデミックについて語ると、本書の第5章で書いたとおり、前段階として「エコーチェンバー」があります。

 エコーチェンバーとは、狭い空間の内部で偏った情報がどんどん蓄積されていき偏見が育まれていく現象です。SNSの時代になってエコーチェンバーが強化され、現代の社会はみんなが共通の見解を持つのではなく、いろいろな「たこつぼ」ができていくようになりました。一つの社会を作っていく上で、これはこれで大きな問題です。

 そこからさらに現れたもうひとつの問題が、インフォデミックです。最初はある一つの狭い区画の中で作られてきた偏見が、何かの機会に一気に外に広がり、よく検討してみるなら問題を含んでいるはずの見解が容易に世間一般に共有されてしまう、という怖い現象です。

 そこで、「エコーチェンバーからインフォデミックへ」という展開の一つの典型として小山田圭吾の炎上案件は捉えられるのではないか、というのが本書の重要な論点になっています。

 本書の「はじめに」では、集英社から2022年に刊行された古谷田奈月さんの『フィールダー』という小説を引用しています。この小説では、主人公にとって身近なある人物が小児性愛の嫌疑をかけられるのですが、事実が正確に伝わっているかどうかは別として、問題含みの行為自体は素材としてはあったことが、小山田圭吾の事例に似ています。

 こうしてその人物は、週刊誌の記者に狙われることになるのですが、「そういう話じゃないんだよな」と思っている主人公は、それを本当に文章にするなら「1年と30万字」が必要であると叫び、「言葉が全然足りないんだよ。複雑なことを複雑なまま伝えないから自殺や差別がなくならない。人間は、本当は、単純さに耐えられる生き物じゃないんだ」と訴えます。

 私がこの部分を引用して伝えたかった、今回の本に通底するメッセージとは、「人間の複雑さをちゃんと受け入れないといけない」ということです。この点について、ここで少し説明しておきましょう。

 『フィールダー』の主人公は「人間は、本当は、単純さに耐えられる生き物じゃないんだ」と言いますが、その一方で、なんでインフォデミックのようなことが起こるかというと、逆に「複雑さ」も人間にとって怖いものだからです。

 確かに、ひとりの人間は単純な一つの要素でだけ成り立っているのではなく、いろいろな要素、いろいろな側面がある。それは誰でもちょっと考えれば分かることです。

 しかし現実の人間関係でもそうですし、いろいろな著名人について印象を持つときもそうですけど、いちいち、その人のさまざまな側面に目を向けていたら、こちらの身が持たないですよね。人間が社会生活を滞りなく営んでいくときに、複雑さは怖いものですから、複雑さを減らしていくというのは社会の中で生きるのに必要なことなんです。

 ですから小山田圭吾の件でも、小山田にはいろいろな側面があるだろうけれども、「要するに元いじめっ子なんでしょ?」と単純化して理解してしまいたい。これで問題を片付けてしまって、「小山田っていうのは、こういうやつだ」という意見で片付けてしまいたい。そうした傾向は、人間の振る舞いとしてはごく自然なものだと思います。

 複雑さを単純化したいというのは、社会を営んでいくためには必要な傾向ですが、あまり安易に身を委ねすぎると、こうしてインフォデミックを引き起こすことにもなってしまう。ですからその負の側面にも目を向けていかないといけないわけです。

 

――なるほど。しかし片岡さん自身が言うように、複雑さに完全に身を委ねるのもやはり怖いことです。矛盾したことを聞くようですが、単純さと複雑さの間でバランスを取るために、まず私たちは何をすればいいのでしょうか。

片岡:先ほど紹介した『フィールダー』の主人公の台詞、「人間は、本当は、単純さに耐えられる生き物じゃない」を再度引用しましょう。私はここまで、複雑さに向き合うことを「意識して取り組まなければいけない義務」のように話しましたが、実際には人間には、「複雑さにも向き合いたい」という自然な欲求がある。複雑さに向き合うのはつらいことでもあるけれど、他方では豊かで心地よい経験でもあるんです。

 私たち人間にとって、心地よさを通して複雑さに向き合うための道筋を提供してくれるものは、一つは広い意味での「芸術」だと言えます。

 そして小山田圭吾は、社会の中でそのような役割を果たすものとしての音楽を、若い頃から意識的に実践してきた人だと思います。普段人間は、世界それ自体と向き合うことは一種の恐怖ですから、他の人間のことを単純化するように、世界のいろいろな要素を単純化して生きています。けれども、ひとときそういうことを忘れて、世界そのものと向き合うような経験も、やはり人間には必要です。まさにそのような経験を提供する音楽を創ってきたのが、小山田圭吾だと思います。

 障害のある児童・生徒を積極的に受け入れていた学校といっても、多くの健常者の生徒は、そうした生徒たちと特段関わろうとはしなかったようです。しかしそうした中でも、関わろうとする生徒がいて、そんなうちの一人が小山田圭吾でした。それはある種の好奇心によって関わったということでもあるし、そうした好奇心に駆り立てられて、いじめと言わざるを得ないような問題含みの局面が出てきたこともあったけれども、少なくとも先ほど言及した生徒とは、高校時代には友人と言えるような仲になっていたわけです。

 その意味で、小山田は極めて理想的な生徒では全くないにしても、彼なりのやり方でこの学校が用意した環境の恩恵を受けて卒業した生徒だったとは言えるでしょう。『QuickJapan』の「いじめ紀行」の記事は、確かに普通に読んで心地よい読みものではありませんけれども、「違う形で世界にまなざしを向け、耳を傾ける」という、アーティストとしての小山田圭吾の原体験が期せずして顕れたインタビューだったと思います。

 本書の冒頭で指摘したように、障害のある生徒との触れ合いは、実は『QuickJapan』よりも『ROCKIN’ON JAPAN』よりも早く、ソロデビュー前の『月刊カドカワ』(19919月号)で、いじめとは全く無関係の文脈で語られていました。それが不幸な経緯により、「いじめ紀行」などという枠組みの中で語りなおされてしまった。この経緯を解きほぐして、偏見のない眼差しでもう一度小山田圭吾の人と音楽に向き合ってもらえたらと願って、私はこの本を書いたのです。

――なるほど。この本を通じて「小山田圭吾と出会いなおす」ことは、芸術を通じて世界の複雑さと出会いなおす経験への橋渡しにもなりそうですね。

 

構成:甲斐荘秀生

 

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本書の刊行記念シンポジウムが326日(日)に開催されます(慶應義塾大学三田キャンパスおよびZoomウェビナー)。詳細は、IfYouAreHere委員会のウェブサイト内の告知ページをご覧ください。

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甲斐荘秀生

かいのしょう ひでお

ライター

東京都出身。東京大学工学部化学システム工学科を卒業、同大学院新領域創成科学研究科環境システム学専攻修士課程を修了。会社勤めと並行して、出版や広報の分野でライターとして活動するほか、舞台の音響スタッフをしてみたり、喫茶店のマスターをやってみたりと、誘われたことにフットワーク軽く乗ってみる性分。「道に通じた人から見えている景色を、必要とする人にわかりやすく伝える」がライターとしてのモットー。

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