米英はウクライナ人を「人間の盾」にしてロシアと戦っているのか【中田考】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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米英はウクライナ人を「人間の盾」にしてロシアと戦っているのか【中田考】

ロシアのウクライナ侵攻 その認識における「地域研究」の問題性【中田考:集中連載第3回】

【17.戦時情報戦】

 

 トッドが描くロシア・ウクライナ戦争は、日本のメディアで語られる国際秩序を破るロシアによる無法なウクライナの侵略といった見方とはまったく違います。トッドは言います。「現在イギリスやフランスのメディアではロシア軍がウクライナ市民を攻撃し、病院を爆破し、子供たちを殺す映像が連日流され、ロシアという国が“怪物”のように描かれています。しかし、ここで行われているのは、まさに『戦時の情報戦』であることも忘れてはなりません。我々が目にしている報道が‟現実”をどれだけ伝えているかはわからないのです。」[2]

 ロシアの情報戦、そのメディアによるニュースがフェイクニュースであることは当然の前提です。ロシアに関しては軍事、政治、経済、科学、文化の全てにおいて研究の蓄積が多く、冷戦期のソ連からの大量の亡命者もまだ生き残っており、国内の言論統制は厳しくとも、国民の出国が禁じられていないため、長期的なロシアの変動に関する知識もリアルタイムの情報も豊富に手にすることができます。それに対して独自メディアの情報収集能力がほとんどなく、欧米のメディアの情報の受け売りである日本では、欧米のメディアによるロシアのウクライナ侵攻に関する報道自体が戦争の当事者である欧米による情報戦の一環であり、自分たちもその一部を担わされていることを意識化することは困難です[3]

 第二次世界大戦の敗戦後、言葉の上では「軍隊」さえ持たず、その「自衛隊」さえも直接戦闘に参加せずにきた日本では、読者の中でも「戦時の情報戦」といってもピンとこない人が多いと思います。私は地域研究者として、イラン・イラク戦争以来、多くの戦争をリアルタイムで研究対象とし、またアメリカ主導の占領軍の支配下のアフガニスタン、そしてアメリカとロシアの空爆下のシリア・イスラーム国などの現実を体験してきましたので、「戦時の情報戦」の実態の一部を垣間見ることができました。ですので、チェチェン戦争やシリア内戦におけるロシアのフェイクニュースによる「戦時情報戦」も知っています。

 しかし同時に、「戦時情報戦」における日本を含む西側メディアの報道の偏向、その実態との乖離も知悉しています[4]。日本にいると忘れがちですが、日本はこのウクライナの「戦争」において広くは欧米「先進国」、とりわけアメリカの同盟国として戦争の当事者として、西側メディアの「情報戦」によって歪められた情報に晒されています。

 戦争においては具体的な戦闘の作戦計画の場所や日時は言うまでもなく、軍の配置や損害、死傷者数なども全てそれを知られることが直接戦況に影響するため機密情報であり、衛星画像などが公開される場合でも、それは自陣営に有利な効果を狙って選択的に加工されてリークされたものです。西側のメディアが報ずるロシアの敗北、ウクライナの勝利の戦況も同じで、我々にできるのはそれらの情報がその真偽を見分けることができない情報戦によって加工されたものであることを意識することだけです。

 そもそも、2022年の7月の時点でも、公式にはロシアはウクライナと「戦争」をしていることすら認めていません[5]。ロシアのウクライナ侵攻を「戦争」と呼ぶことじたい、西側の情報戦に加担することです。私もロシアのウクライナ侵攻は治安出動やテロ対策ではなく、ロシアが仕掛けた「戦争」に他ならないと思いますが、それは全体主義独裁国家のロシアが国際法を破る特別無法な戦争ではなく、「ロシアがウクライナでやっている以上に醜悪な行為をアメリカ[ジョージ・W・ブッシュ]がイラクでやってきた」(59頁)のと同じものでしかないことを知っています。

  

【18.リアル経済とバーチャル経済の戦い】

 

 その意味で、かつてソ連の崩壊を予言したロシア・ウオッチャーであり、現在のロシアのウクライナ侵攻をめぐる反ロ陣営の戦争当事国のリベラル知識人でありながら、その情報戦から距離をおいて独自の分析を行っているトッドの言葉は傾聴に値します。私はこの戦争を宗教地政学の立場から見ているため、見える風景に違いはあります。しかし戦争の宗教的側面以外については、トッドの家族社会学、人口統計学的分析におおいに啓発されました。また「国際秩序」のイデオロギーを排した「価値中立的・客観的」な認識はおおむね私の考えと一致します。

 トッドは言います。「これまで『アメリカの専売特許』だった他国への侵攻をロシアが行った」[6]36頁)。

 情報戦の両当事者のプロパガンダの両方から距離を取り、自分自身の主観、感情を排し[7]、ウクライナ戦争において「世界の構造レベルで何が起きているのか」(199頁)を学問的、客観的に見極めようとするトッドにとって、ロシアのウクライナ侵攻が意味することは、ウクライナからのネオナチの掃討、ロシア世界の精神性を西欧の物質文明の汚染から護ることでもなく、ロシアの独裁と全体主義が国際秩序と正義の侵犯に対する自由と民主主義の戦いでもありません。

 それはロシアが示したレッドラインを無視しウクライナを武装化し事実上のNATO加盟国化とし自分たちの代わりに戦わせるアメリカとロシアの戦争であり(203-204頁)、ヨーロッパを巻き込こんで対ロ経済制裁をアメリカが迫ることで、ウクライナだけでなく、「果たしてロシアと戦争をしているのか、あるいはドイツに戦争をしかけているのか分からない」(88頁)ほどにヨーロッパをも犠牲にしている戦争であるということです。

 より巨視的には経済におけるリアルとバーチャルの戦いであり、リアルな生産力における優位を既に失ったアメリカが、ドルがバーチャルに基軸通貨であることによって未だに有している優位によってユーラシアの天然資源を確保(搾取)するために、軍事力に訴えて勢力圏(NATO)の拡大を図ったのに対して、ユーラシアのリアルな天然資源と生産力を有するロシアと中国の同盟が反旗を翻したことで起きた消耗戦です(26, 64-71頁)。

(第4回最終回へつづく)

 

【注】

[2] 『第三次世界大戦はもう始まっている』62頁。

[3] ウクライナの情報戦に関しては、ウクライナはそもそも国家自体に30年あまりしか歴史がなく、研究が圧倒的に少ない上に、ウクライナではロシアの侵攻以来18歳から60歳までの男性の出国が大統領令で原則禁止されており、海外に出ている者も、欧米ではロシア軍の残酷さとウクライナが被害者であることをアピールすることが自らの利益になると信じています。と同時にそれは反ロの欧米陣営にとっても利益になるため、すべてがポジショントークになってしまうため、戦争の実態の歪曲を知る手段は残念ながら現時点では殆どありません

[4] 中田考『タリバン 復権の真実』KKベストセラーズ、2021年参照。

[5] 公式にはロシアはウクライナ侵攻をロシア系の住民の保護と自国の安全保障に対する脅威を取り除くための治安出動に対する特別軍事作戦と位置付けています。

[6] 「アメリカ人にとっては、『他国を侵略することは普通のことだ』と考える基盤があるのです。アメリカにしてみれば、『今回はロシアが自分たちと同じようなことをしている』というわけです。」トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』35頁。

[7] 「個人的に」フランスに生まれ育ったため個人的にロシアの政治体制の下で暮らしたいとは全く思わないことと、ロシアもまた少数派を尊重する欧米の自由主義型とは別な権威主義な民主主義社会であることを「学問的」に認めることの区別の重要性をトッドは説いています。『第三次世界大戦はもう始まっている』162-165頁参照。

163-164頁参照。

 

文:中田考(イブン・ハルドゥーン大学客員教授)

 

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■目次■
序 タリバンの復活とアメリカの世紀の終焉
第I部:タリバン政権の復活
第1章 タリバンについて語る
第2章 アフガニスタンという国
第3章 アメリカ・タリバン和平合意
第4章 イスラーム共和国とは何だったのか
第5章 タリバンとの対話
第6章 タリバンとは何か
第7章 タリバンに対する誤解を超えて
第8章 タリバンの勝利の地政学的意味
第9章 タリバン暫定政権の成立
第10章 文明の再編とタリバン

第II部:タリバンの組織と政治思想
第1章 翻訳解説
第2章 「イスラーム首長国とその成功を収めた行政」(翻訳)

1.国制の法源
2.地方行政の指導理念
3.地方行政区分
4.村落行政
5.州自治
6.中央政府と州の関係
7.中央政府
8.最高指導部
9.最高指導者
10.副指導者
結語

第3章 「タリバン(イスラーム首長国)の思想の基礎」(翻訳)

1.タリバン運動の指導部とその創設者たちのイスラーム理解
2.思想、行状、政治、制度における西欧文明の生んだ退廃による思想と知性の汚染の不在
3.国際秩序、国連、その法令、決議等と称されるものに裁定を求めないこと
4.アッラーの宗教のみに忠誠を捧げ虚偽の徒との取引を拒絶すること
5.領主と世俗主義者の指導部からの追放と学者と宗教者の指導部によるその代替
6.民主主義を現代の無明の宗教とみなし信仰しないこと
7.一致団結と無明の民族主義の拒絶
8.純イスラーム的方法に基づくイスラームの実践
9.政治的制度的行動の方法において西洋への門戸の閉鎖
10.女性問題に関する聖法に則った見解
11.ジハードとその装備

跋 タリバンといかに対峙すべきか

解説 欧米諸国は、タリバンの何を誤解しているのか? 内藤正典

付録 アフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブ

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中田 考

なかた こう

イスラーム法学者

中田考(なかた・こう)
イスラーム法学者。1960年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。83年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、20代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。著書に『イスラームの論理』、『イスラーム 生と死と聖戦』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『増補新版 イスラーム法とは何か?』、みんなちがって、みんなダメ 身の程を知る劇薬人生論、『13歳からの世界制服』、『俺の妹がカリフなわけがない!』、『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』など多数。近著の、橋爪大三郎氏との共著『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)がAmazon(中国エリア)売れ筋ランキング第1位(2021.9.20現在)である。

 

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