新保信長の新連載『食堂生まれ、外食育ち』【1品目】「今日のごはん何?」と聞いたことがない
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」1品目
したがって、お父さんは会社に行かない。普通の家のような玄関もない。出かけるときは奥の階段を下りて靴を履き、店の中を通って客と同じく店の出入り口から出る。店に厨房はあるが住居部分には台所がない。調理は父親と男性従業員が担当し、母親はレジと接客を担当する。ほかにもフロア担当の女性従業員と出前担当の男性従業員が数人いたが、とにかく母親は料理をしないポジションだった。
つまり、文部省(当時)が教科書に載せるような理想の家庭像とは大違いなのである。お父さんが会社に行き、お母さんが家事を受け持つ――令和の今でも根強く生き残っている形態かもしれないが、昭和の我が家はそうではなかった。いや、我が家でも掃除や洗濯などは母親が担当していたが、とにかく料理だけはほとんどしない母だった(平日、学校に行く日の朝ごはんと弁当は作ってくれていたが、それがどんなものであったかは後日あらためて)。
そしてもうひとつ、普通の家と違ったのが、晩ごはんだ。それこそ『サザエさん』や『ののちゃん』などのアニメやマンガでよくあるのが、「お母さん、今日のごはん何?」というセリフ。この定番フレーズを私は一度も発したことがない。なぜなら、晩ごはんは店のメニューから好きなものを選んで食べるシステムだったから。要は、家のごはん=店屋物なのだった。家で食べてはいても実質的には外食で育ったようなものである。
今はもう閉店し父も鬼籍に入ったが、参考までに在りし日のメニューを載せておく【図1】。
「平成8年」と記載があるから1996年、阪神淡路大震災の翌年だ。きつねうどんが400円。私の一番古い記憶では180円だったし、値段だけでなく品目も子供の頃とは多少変わっているが、だいたいこのぐらいの選択肢から食べたいものを選ぶのが日常であった。
とはいえ、子供ながらに「あまり高いものを選んではいけない」という遠慮はあった。よく食べていたのはカツ丼などの丼物、カレーライスやオムライス、肉いためやハムエッグ(+ライス)など。特に禁止されていたわけではないが、寿司や幕の内などの高額メニューはめったに注文しなかった。ちょうど晩ごはんを食べる時間帯に、注文を間違ってダブって作ってしまったときには半強制的にそれを食わされることもあったが、だいたいはそのとき食べたいものを食べていたのである。
それは大人になった今でも変わらない。一人暮らしの頃はもちろん、結婚後も外食率は高かった。母親と違って妻は料理好きだが、外食は外食で楽しめる人なのでありがたい。コロナ禍でいろいろ事情が変わったものの、逆に外食の魅力を再発見したところもある。
というわけで、この連載では「食堂生まれ、外食育ち」の筆者が、外食にまつわるアレコレを綴っていく。といっても、いわゆるグルメエッセイとは違う。味には基本的に言及しない。お店の雰囲気や接客、店主のキャラクター、客の会話や振る舞い、ちょっとした事件など、外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて書いていくつもりである。よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。
文:新保信長
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