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水道民営化に積極的なブラジルが築き上げた「仕組み」とは?

日本の水が危ない⑱

水道民営化に積極的なブラジルだが、規制緩和を推奨する「ブラジルのトランプ」とも呼ばれるボルソナロ大統領のもと、従来の水管理を維持できるのかの正念場に立たされている。(『日本の「水」が危ない』六辻彰二 著より

■ブラジル──「住民参加の水管理」

 

 他の開発途上地域と比べてラテンアメリカは「水道民営化」が目立つ地域だが、そのなかでもブラジルはとりわけ積極的な国の一つだ。OECDによると、ブラジルでは1990年から2006年までの間にコンセッション方式で39件、BOTで10件のプロジェクトが実施された。これはラテンアメリカ一の規模で、ブラジル民間水道・下水処理協会によると、民間事業者の水の利用者は2012年段階で全人口の7・5%にあたる1400万人にのぼった。

 その一方で、周辺のボリビアなどと異なり、再公営化の事例は少ない。例えば、1995年にサンパウロ郊外のリメイラ市は、スエズが出資する企業連合にコンセッション方式に基づき水道事業を委託した。これはブラジルの最初期のコンセッション契約の一つだったが、その後の料金改定で所得に応じた料金加算が見直され、低所得層の間では水道料金が176%上昇し、これに対する抗議デモも発生したことで、各地に「水道民営化」への不信感を広げる端緒ともなった。しかし、それでも2000年から2014年までに限ったトランスナショナル研究所の調査で、ブラジルにおける水道再公営化の事案はゼロである。

「水道民営化」の案件数が多い一方、再公営化の事例が少ない点だけみれば、ブラジルは中国と共通する。さらに、ブラジルでは中国と同じく、自治体と民間企業が共同で経営する水道事業者も多く、1973年にサンパウロ州が設立し、1996年からは株式の一部を公開している上下水道会社Sabespは、その典型である。

 しかし、ブラジルと中国ではもちろん事情が異なる。最大の違いは、住民参加の有無にある。単純化していえば、中国の場合、利用者である住民への説明責任や情報公開がほとんどないまま、省・自治区政府が「いつの間にか」民間参入を進め、異論や不満は基本的に抑え込まれてきた。

 これに対して、ブラジルでは1997年、水道事業を含む水資源の管理に関する最高意思決定機関として全国水資源理事会が発足したが、ここには連邦政府や水道事業者だけでなく、消費者団体を含むNGOや住民の代表が参加してきた。つまり、民間企業とともに利用者の意見も反映される仕組みがあるからこそ、他国ほど問題や弊害が深刻化することなく、「水道民営化」が進んできたのである。

 もちろん、この仕組みは一朝一夕にできたものではなく、ブラジルでの水をめぐる争いのなかで確立された。もともとブラジルは国土面積が広い(世界第5位)うえに、山岳地帯からジャングルまで国内の気候条件は地域によって異なる。さらに、大河アマゾンは州をまたいで横断しているが、連邦制によって州政府に幅広い権限が認められるため、水資源の利用をめぐる対立は絶えなかった。その一方で、他のラテンアメリカ諸国にも共通するが、所得格差の生まれやすい地主制が存続し、アメリカの影響力が圧倒的に強いなか、市場経済に傾いた富裕層と、これに抵抗する労働組合やNGOなどの間の階級闘争は伝統的に激しい。

 この複雑な背景のもと、他のラテンアメリカ諸国と同じく、1980年代に債務危機に陥ったブラジルでは、親米的な軍事政権がアメリカや世界銀行の要求に沿った改革を進めたが、1985年の民政移管後もワシントン・コンセンサスの影響力から逃れることはできず、1990年代には「水道民営化」に着手し始めたのである。

 しかし、リオデジャネイロなどいくつかの地方政府が先駆けとなって進めた「水道民営化」で料金高騰などの問題が噴出したことで、海外企業を含む民間企業と住民団体、NGOの対立が深刻化した。その結果、それぞれの勢力が政府とともに水資源の問題を総合的に取り扱う組織の発足に合意し、これによって1997年、先述の全国水資源理事会が誕生したのである。

 つまり、水資源問題に関する最高意思決定機関である全国水資源理事会に住民代表やNGOが参画しているのは、それ以前から彼らが「水道民営化」をめぐって公的機関や民間事業者と交渉や衝突を繰り返してきたからこそである。このように公的機関、民間事業者、利用者代表が顔を揃える仕組みは、他国と比べて、ブラジルの「水道民営化」を安定させてきたといえる。

 ただし、この安定が持続するかは未知数だ。

 ブラジルでは原油価格が急落した2014年以降、GDPが2年連続でマイナス成長を記録するなど経済危機に陥り、それにともない政府の汚職などへの不満が爆発してジルマ・ルセフ大統領(当時)が弾劾で罷免されるなど政治的にも混乱を深めた。財政赤字も深刻化するなか、ルセフ氏を継いだミシェル・テメル大統領(当時)は就任直後の2016年7月、経済危機を抜け出す方策の一環として水道事業の一部を民間委託する方針を決定した。これを受けて、27州のうち18州でこれが支持されたが、折からの干ばつで水不足が深刻化したことも手伝い、全国水資源理事会での議論は難航した。

「水道民営化」をめぐる対立がこれまでになく深刻化するなか、2018年11月に大統領選挙が実施され、国外に対しては保護主義的な傾向が強いが、国内に対しては規制緩和を推奨するジャイル・ボルソナロ氏が当選した。「ブラジルのトランプ」とも呼ばれる強権的なボルソナロ大統領のもと、ブラジルは合意形成を優先させる従来の水管理を維持できるかの正念場に立たされているのである。

KEYWORDS:

『日本の「水」が危ない』
著者:六辻彰二

 

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 昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。
 ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。

 なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。
 水道事業民営化後に起こった世界各国の事例から、日本が水道法改正する真意、さらにその後、待ち受ける日本の水に起こることをシミュレート。

 

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六辻彰二

むつじしょうじ

国際政治学者

1972年生まれ。博士(国際関係)。国際政治、アフリカ研究を中心に、学問領域横断的な研究を展開。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。著書、共著の他に論文多数。政治哲学を扱ったファンタジー小説『佐門准教授と12人の政治哲学者―ソロモンの悪魔が仕組んだ政治哲学ゼミ』(iOS向けアプリ/Kindle)で新境地を開拓。Yahoo! ニュース「個人」オーサー。NEWSWEEK日本版コラムニスト。


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